Life アーティストトークに通りかかった(2)

もう1つ、高谷史郎さんがとても面白いことを言っていた。

「最近は、映像を写す媒体として、
スクリーンはどんどん巨大化させて、どんどん高解像度(時間的にも、空間的にも)になっている。
それは自分もやっているし、否定はしないけど、
技術を使いたいだけになっている部分もあるのではないか。
今回は、違うアプローチをしてみたかった。」


「最近ではパソコンの画面から「情報」だけを抽出することに皆がなれすぎていて、
映像がパソコンの画面であろうと、スクリーンであろうと、どんなものに映っていようと、
人はそこから「情報」だけを抽出してしまう。
「何に映っているか」は関係なくなっている。


今回はあえて水の中に発生させた「霧」に映像や字を映すことで、
(霧の動きは制御できないので)画像がぼやけたりする。
そこで、人が「情報」を読み取ろうとすると、
ついつい霧の粒とかが目に付いてしまう。
そこで初めて、「何に映っているのか」ということに気づく。」

この話は、最近のモノの価値ということに結構関わっていると思った。


以前に梅田望夫さんが、
「本の内容がネットでも流通されるようになった時代の
本の価値は、「情報」が読みやすい形(本というモノ)にまとめられること」
と言われていたが、そんな感じ。


最近、「モノ」よりも「コンテンツ」に価値が流れ出していて、
徐々に「モノ」の価値が薄れてきている。


「モノ」が人間の感覚器を上回るオーバースペックになっているからかもしれないが
(解像度が人の目が感知できる限界を超えているとか、
音が異常によいけどほとんどの人には違いが分からないとか)、
「モノ」の存在感が薄くなってきているのは確かだ。


確かにモノは「目的を果たすためのツール」にしかすぎないので、
それは悪いことではないのだが、モノをつくっている現場を横目で見ている人間からしても、
それは少し悲しいことだ。


「いいモノ」はやはり素晴らしい。
そういう揺り戻しも、このインスタレーションでは予測されているのだろう。



時間と空間、情報化と脱身体化、「ここにいることの価値」、「モノの価値」等々、、、
結構 いろいろなことを考えさせてくれるようだ。
また観にいこうと思う。