「脳」整理法


「脳」整理法 (ちくま新書)

「脳」整理法 (ちくま新書)


茂木健一郎さんの本を読んでいる。
読んでいると、節々でいろいろなことを思いつかされ、考えさせられ、
まだ読了していないけど、この時点から感想を。


茂木さんの本を買ったのは「脳とクオリア」以来2冊目。

脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか

脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか

こちらは結構研究書という向きがあるが、
今回の「「脳」整理法」は一般向けというか、「生活知」という
身近なことが主テーマなので読みやすい。
クオリアも、身近といえばもっと身近であるが。。)


茂木さんは、
脳科学の中のさらに「クオリア」という狭い領域での哲学者的な人をイメージしていたものが、
最近
ポッドキャスティングの対談などを聞いて、
大変広い分野に造詣が深く、かといって思考は深い、
という感じで、弁も立つし、とても感銘を受けていた。
メディアへの露出だったり、執筆だったり、
こういうタイプの研究者が増えていくと日本のサイエンスも強くなるような気がする。


さて、本文ですが第一章第一節からいきなり心に響く。

整理術こそ現代の「読み書きそろばん」

情報に溢れた現代社会に必要な情報リテラシーを説く。


僕の考えは、「整理」はコンピューターが一番得意なもので、
人間は情報に整理のためのタグをつけておいてやって、
とにかくWebにアップすれば、あとは勝手に整理してどこからでも取れるようになる、
という世界を実感として考えている
(「はてブ」や「iTMS」など)。


ただ、自身もITヘビーユーザーという茂木さんがここで言うのは、

ここでは、人間にしかできないこと、
人間という生命の躍動(エラン・ヴィタール)に結びついた、
ダイナミックで能動的な情報の「整理」をこそ志向し、問題にしたいのです。

という「整理」だ。


いよいよ最近 (僕の中で)話題のバイオニックシステム的な話か?
と期待する。


が、よい意味で期待は裏切られる。

もともと、脳は、世界との交渉で得たさまざまな体験を整理し、
蓄積することに長けた臓器です。
たとえば、自分自身の体に関するイメージ(ボディ・イメージ)でさえ、
「このような運動をすると、こういう感覚がフィードバックされてくる」
という関係が成立することを、
体験し整理し続けることで獲得されていくのです。
この際の関係性は、
「いつ、どこでもそうなる」というような決定的なものではなく、
半ば偶然に、半ば必然に起こるという「偶有性」(contingency)に
満ちたものになります。

森羅万象とのかかわりの中で脳が直面する物事の多くは偶有的です。
「偶有性」に満ちた世界に対面して、
実践的な知の整理を試みることが、
人間の脳にとって大きな課題であったわけです。


そう。
茂木さんの最近の興味はセレンディピティだとポッドキャストで言っていたのだ
(この後セレンディピティについての章もある)。


それにしても、確かに偶然の前にシステムは弱い。


想定外の事態、いかに柔軟に対応できるか。
もともとシステム(プログラム)というものは、
「こういうことがきたら、こうしなさい」
という命令の集積なのだから、もとから偶然に対応できるはずがないのだ。
システム設計を行った人間が、
どれだけ想定外の事態を想定内にしておけるかどうかなのだ。


このことは茂木さんも「チューリング・マシン」という
ちゃんとした実証を元に論じている。

チューリング・マシンは、外部から「データ」として情報を読みとり、
それを閉じた論理のシステム(プログラム)で処理して、
ある「答え」を出す機械です。
このような機械では、
偶有的な体験をうまく「整理」することもできないし、
新しいものを生み出すこともできません。

チューリング・マシンは、あるプログラムが設定されて、
そこに入力があると、入力に対する答えが出されるまでは
基本的に外部からの入力を受け付けません。
もちろん、物理的プロセスとして、
外部から何かの入力がなされることはあるでしょうが、
そのような偶有的な出来事を、
うまく有機的な総合のプロセスに結びつけることができないのです。

など。


Googleも、ある部分(サイト選定)に関しては人海戦術にならざるをえない、
iTMSも楽曲情報は人間(音楽メーカーの人)が手作業でつけている、
など、人間にしかできない知的労働と、
コンピューターにもできる知的労働との切り分けをはっきりさせることは、
これからもっと重要になってくるだろう。


そういう、人にしか、脳にしかできないことというのを、
この本では考えていこうとしているのだ。


ちなみに、
セレンディピティ」に対して、僕が思うのは Awareness だ。


つまり、偶然に出会ったその幸運に気づくこと。


そのためには(これは僕の持論ですが、、)
自分に対して起こったことは全て意味があると思う

誰かの本に書いてあったことなのだが、出自は忘れました。。


ただ、これはものすごく心に残ったし、
この通り生きようとしているし、
その結果、人生が楽しくなったような気がしている。


なんでもないことなのかもしれないけど、
偶然自分に対して起こったその事象について、考える。


「なぜ今こんなことが起きた?」
「なぜ自分に対してこんなことが起きた?」
と考えていると、
「自分はこれに対してどうすればいい?」
ということが考えられ、その結果、あとからみればその出来事は
自分にとってセレンディピティだったんだなぁ、
と思えるのだ。


まだ小さいことだけど、これはいい習慣だと思っている。



・・・などなど、この本には考えさせられることが多すぎて、
なかなか先に進めない。


また続きを書こうと思う。