文明

今年の夏休みは、数年来の夢だった釧路湿原のカヌーに行った。


あいにくの雨だったが、それが静かな釧路川の雰囲気を引き立てて
むしろよかったように思う。


カヌーをしていて一番感じたのが、自然の静寂さ。


釧路湿原を流れる釧路川は近隣に住宅はほとんどなく、
道路、鉄道もたまに近づくくらいでほとんどないといってよい。
カヌーで下っていく途中、純粋に自然の世界に入ることができる。


静けさといっても、もちろん無音というわけではない。
この日は時折霧雨が降っていたし、
川の両岸に茂る葦が風にそよぐ音、
鳥の羽ばたきや鳴き声、虫の声などは常にそこにあった。


だがそこに「人間」が圧倒的に少なかったのだ。


僕と連れと、ガイドさんの計3人。
もともととても物静かなガイドの方であったし、
野生動物に会うには静かにした方がいい、時かされていた僕たちも静かにしていた。
2艘のカヌーで、ほとんど口を開かずに川を下っていった。


なるべ気を使って静かに動かしている自分たちのオールが川の水にあたる音が、
この静寂の中でとても耳につく。


無音の世界、というものを体験していないわけではない。
僕が今いるこの部屋も、PCのファンの音と、キーボードの打鍵音しか聞こえない。
だが、静けさの質が違う。


目にも静かなのだろうか。
川の中から突き出す大きな倒木の幹が、
そこにあるべくしていつまでもあるように見える。
その横を音も無く流れていく自分。


そこで自分の存在を喧伝するモノもなく、ただみな当たり前のようにそこにある。


野生の動物はこんな世界に生きているのか、
それも悪くないかもしれない。
などと思っていた矢先だった。


「人の声、匂いは風下に伝わるから」
とガイドさんに聞いていたのだが、
上流から、別のカヌーの組が下ってきたのだ。


ガイドと女性2人の組だったのだが、
街の喧騒の中で話しているのと同じ声音で、他愛もない会話をしているのが聞こえてくる。


人の声がこんなに遠くまで通り、響くものだとは知らなかった。
都会では其処にいるイロイロな者たちが自己を発し、
それでお互いを打ち消しあっているのだということが分かった。
打ち消しあう対象がないここでは、
その声は大音量に不快感を感じるほどに周囲と不協和していた。



宣伝カーの一行に先に行ってもらう。
風上に立つと声が段々と小さくなってくる。なぜだか安心する。


「動物は人の声が聞こえると出てこないから」
その言葉を、自分が鹿になった気分で理解できた。


静寂に身を置いていると、
それまで頭を占めていた日常の瑣末なことが頭から消えていく。


自分がこの自然のなかに、ただあってもいいというように思ってくる。


目の前に現れる風景に、
気を抜くと自分を押し流す川の流れに、
静かに美しく佇む流木に、ただただ対応して漕いでいく。



とても贅沢な時間。
自分の中のピュアな部分をリセットさせてくれる時間。


僕の脳の大部分を占めていたミームたちが、ここではなりをひそめる。
普段、新たなミームたちの絶えざる侵攻に堪えてきた脳が、解放されていたように思う。



今はまた、喧騒というミームの渦の中に帰ってきたが、
またいつか、川に行きたいと思う。


Nanook