小説 渋沢栄一

以前からこの人には興味があって、津本陽の小説になっていたと知って即買いした。


とても意外な人だった。
100以上の会社を興した、近代日本経済の礎をつくった人
という程度の認識だったのだが、幕末は尊王の志士だった。


ちょっとした反乱を企てる、血気盛んの士が
徳川慶喜に仕え、会計係として実直な非凡な才をみせ、
水戸藩公子のフランス遊学に随同したあたりから人生が大きく変わってくる。


フランスで最新の経済に触れ、
日本の国力を鑑み、維新後に日本経済の勃興を図る。
株式会社を日本に本格導入した祖であり、かれが数多の会社を興したのは
あくまで日本の国力を富ませるという理念のため。

日本の経済界を、論語の精神によって構築してゆこうとする栄一は、
常につぎの信条を口にした。
「金銭資産は、仕事の滓(かす)である。滓をできるだけ多く蓄えようとする者は
いたずらに現世に糞土のかきねを築いているだけである。」
のちに栄一は、息子(四男)の秀雄に次のようにも述べている。
「父は金といふものは、働きの滓だといってゐた。
機会が絶えず運転してゐて滓が溜まるやうに、人が一心に働いてゐると、
自然に金がたまって来る。従って、金は溜まるべきもので、溜めるべきものぢゃない。


商人というより、烈しい志士であることに驚いた。
経済の力で日本を強くする。
ぼくは、日本の明治期の国力増強は奇跡だと思っていたが、
こういう人が、日本を押し上げたのだということが、感動的だった。
まさにアントレプレナーだ。


その人生論は、力強く、心に響いた。

栄一は晩年に人生の逆境について、つぎのような観察をしている。
「時代の推移につれて、常に人生に小波乱のあることはやむをえない。
したがってその渦中に投ぜられて逆境に立つ人も常にあることであろうから、
世のなかに逆境は絶対にないといいきることはできあいのである。


ただ順逆を立つる人は、よろしくそのよってきたるゆえんを考究し、
それが人為的逆境であるか、ただしは自然的逆境であるかを区別し、
しかるのちにこれに応ずるの策を立てねばならぬ」


(中略)


何人でも自然的逆境に立った場合には、
第一にその場合に自己の本分であると覚悟するのが唯一の策であろうと思う。
足るを知りて分を守り、これはいかに焦慮すればとて、
天命であるから仕方がなかろうとあきらめるならば、
いかに処しがたき逆境にいても、心は平らかなるを得るに相違ない。
(中略)
ゆえに自然的の逆境に処するに当っては、まず天命に安んじ、
おもむろに来るべき運命を待ちつつ、たゆまず屈せず勉強するがよい。


それに反して、人為的の逆境に陥った場合はいかにすべきかというに、
これはおおく自働的なれば、何でも自分に省みて悪い点を改めるよりほかはない。
世の中のことは多く自働的なもので、
自分からこうしたい、ああしたいと奮励すれば、大概はその意のごとくになるものである。


しかるに多くの人は、自ら幸福なる運命を招こうとはせず、
かえって手前の方からほとんど故意にねじけた人となって、逆境を招くようなことをしてしまう。
それでは順境に立ちたい、幸福な生活を送りたいとて、
それを得られるはずがないではないか。」


前向きである。

「挫けても挫けてもたゆまず築きあげてゆく。
その決心と誠実とこそは仕事の上での大事なことである。


力をもらえる言葉たちだ。


こういう日本人がかつていて、
その力でこの国はいまここまで発展したことが誇らしいし、
そうありたいと目指す目標になる人だ。