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実は先週の日曜日から、ジョギングを始めた。
たまに水泳をしているのだが、
あまりの運動不足は、なかなか解消されないので。
なんか時代が変わったなぁ、と思ったのは、
ジョギングを始めるにあたってまず買ったのはi-pod shuffle。
スニーカーより先に頭に浮かんだ
(これは自分がデジタルオタクなだけなのかもしれないが)。
ちなみに普段は40GBのi-podを使っています。
ジョギングは、いいです。
おすすめしたい。
何がいいのかというと、
ゆっくり走ることで体内の「時間」が適正に調整されるような気がするのだ。
以前に古本屋でこの本を見つけ、読んだ(半分くらいまで)。
- 作者: 灰谷健次郎
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1998/03
- メディア: 文庫
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灰谷さんによると、ジョギング(マラソン)はゆっくり走るのがコツらしい。
そんな予備知識を持って、ゆっくり走ってみたのだが、
時間の流れ方が違うのだ。
僕は時間の使い方がうまくないので、
いつも何かに追われている感じで働いたり、遊んだりしている。
最近このブログで、
テクノロジーが人間の感覚的「時間」に及ぼす影響について考えているのも、
何より自分がそう感じているからだ。
それが、ゆっくり走ると変わるのだ。
時間がゆっくりと流れ出した。
結局2時間ちかく、ゆっくりゆっくりと走ったのだが、
とても充実した、癒しの時間だった。
普段は身体を動かさずに、
ネットなどから膨大な情報をかなりのスピードで摂取、加工しているから
時間はあっという間に流れているのだろうか?
それとは逆に、
自分が、身体的に動いている速度で時間感覚は流れるのだろうか?
(身体の各器官は脳と直結している)
以前 実家に帰った時に90近い祖母の散歩に同行したことがある。
老人が歩くスピードで歩いたことのある経験がある人は分かるかもしれないが、
見える世界が変わった記憶がある。
老人のスピードで歩くと、
東京の街中も、とてものんびりした田舎道を散歩しているような気分になるのだ。
身体の(センサーから脳に伝えられる)信号と
思考の際に脳で発生している信号とには、
どのような違いがあるのだろう?
ちょっと興味を持ってしまった。
ただ運動野領域でシナプス発火が起きています、とかそれだけではないはずだ。きっと。
機会があれば、調べてみよう。
ちなみに他にもジョギングの効用としては、
- 日ごろためている podcasting を聞くに最適
- 走りながら不動産の景況が実感できる(気がする)
- 空き部屋がちらほら。都内のマンションはそろそろ供給過剰になるのでは。(引越しシーズンなだけ?)
- 自分の家のそばに野球場があることを発見したりして感激できる
- 桜が咲きだしたことに気づいたりできる