ミームに思うこと


昨日、ミームの定義を考えよう、というところで終わってしまったので
今日はその続きを。
※ 実証に基づく学問的な話ではなく、あくまで個人的な考えとして。


昨日上げたミームの4つの定義の中で、
僕が勝手に重要だと思うキーワードを挙げると、

  • 情報の単位
  • それ自身が形を作り上げ、記憶に残る個別の単位となるような
  • 文化の遺伝単位
  • 文化の伝達や複製の基本単位


ということになる。



ミームは文化の遺伝単位
というのが一番シンプルな表現になるのかなぁと思う。


もう少し具体的にいうと、
誰かが真似する(コピーする)ことができる
考え方、行動、ノウハウといった「情報」。
という感じかな。


「情報」というと、極端な話ビット(0/1)とかまで行ってしまうが、
もう少し中規模の大きさの、受け取る対象が意味を感じ取れる単位の「情報」だ。



また、ここでいう文化は、人間のものに限らないと思う。
「101匹目の猿」のお話は結局捏造だった、
というような話をどこかで読んだ気がするが、
少なくとも1〜100匹目までは、
最初にイモ洗いを始めた猿の行動を自分の目で見て、真似たのは事実だ。


これで「イモを洗う」というミームは100個のコピーを生んだことになる。
これがコミュニケーションの原型だと思うし、
文化ってこういう現象が何千、何万も複雑に重ね合わさって出来ているのだと思う。


つまり極端に短絡した話、文化はミームの重ね合わせ・組織化したものと言える。



そう考えると、「人格」も、ミームの重ね合わせかなと考えられる。
アインシュタインの言葉に、

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」

というのがあるが、
ある人の人格は、その人がそれまで歩んできた生き方、
それまでに接してきた環境、人、現象
などによって決まる(と思う)。
そして、それらの人が見聞きする現象というのもまたミームだ。


そういう観点からすれば、文化の時と同様、
人格もミームの重ね合わせによって形作られているとも考えられる。


こうやって考えていくと、世の中で脳を使って行うほとんどの行為・現象は
いろいろな種類のミームによって組成されているのだ。
※ あくまでミームはものの見方の一つであって、
それが実在する真理であるわけではない、という大前提を忘れてはいけないが。


そして、遺伝子(gene)とミーム(meme)との、驚くほどの類似性。
こうなってくると、
ミームが組織化することということが
組織工学の研究をかじっていた僕にとっては最重要テーマなのだが、
それはまた別の機会に(ほとんどここで書いていることです ⇒ id:hatenadiary:20060215)。


と、(かなり極端な話だが)僕は考えているので、
このミームという
得体の知れない、どうなるかよくわからない分野にとても魅せられているのだ。


今はじまっている、Web2.0的なネット世界は、
ミームが増殖するのに非常に適した環境だ。


これまでは、「ミームマシンとしての」人間が
その脳から脳へとミームを伝播させていたが、
ネット社会においてミームはコンピュータ(人間がつくった機械脳ともいえる)の中で、
「データ」としてコピーされて、増殖していく。


コンテクストとしてのテキストデータだけがミームではないかもしれない。
バイナリデータもミームといえるし、
(乱暴な話を承知で言えば)XMLアフォーダンスを表現できているとすれば、
コンピュータデータは十分な意味をそれ自身で持てるのではないだろうか。


ハイパーリンクトラックバックミーム固体同士に相互作用する能力を与える。


まぁ、あまりにSFな話なのだけれど、
複雑系ミーム、組織工学、とかじってきた僕には、
ほうっておけば勝手に新しい何かが生まれるような気がしてならないのだ。


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BRAIN VALLEY〈下〉 (角川文庫)

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この本を読んで以来、瀬名さんの撒いたミームにのっとられている感がある。