言語体系をコピーする


僕は「平成・進化論。」というメルマガを
1年以上読んでいるのだが、ここ数日のテーマは

「成功者の見よう見まねをするのではなく、言語体系をインストールすべき」

といった趣旨の話だった。


非常に納得のいく話だ。
誰かが行ったある行為を「模倣する」というのが
ミームの一つの単位であるという考え方(スーザン・ブラックモア)について
最近 触れていたところなので、ちょうどいい対比にもなった。


誰かの「行為」をマネることはできるが、
それは真の意味でマネていることにはならない。
表面にみえている薄皮一枚の事象を真似しているだけ。


成功者がなぜある行為をとるのかは、
その成功者の頭の中から出る「指令」による。
その「指令」を構成するのは、彼(彼女)の意思、思考だ。


その意思、思考の元となる「言語」を体系的に全て理解して、自分のものとすること。
その結果、「行為」自体もマネることができるようになる。
という考え方だ。



と、ミームという話の観点からこのことを考えると、
ミームでいう「模倣」とは、行動を司る「意思、思考」を模倣するということになる。


もちろん、「指令」自体を模倣する、ということもあると思う
(「指令」自体を模倣するということは、
人間の脳の中におさまらない「in silica(PCやネット社会)」論に大発散してしまうので今日はやめとく)。


「思考を模倣する」、というのは非常にしっくりくる考え方だ。
行為を模倣する、というよりも難しいかもしれないが、
「行為」は脳が体に対して指示を出した結果だということからすれば、理にかなっている
(行為はミームの表現型であるという議論についてもふれない)。


とても難しいと思っていた、「思考を模倣する」具体的手段として、
「言語体系を自分にコピーする」
という具体策は、なにか光明が差した感じ。


「とりあえずやってみる」という手がかりとしては、うってつけだと思う。





それにしても、こう考えてみると「言葉の力」は偉大である。
日頃 うちの社長がやってくれているような
「分かりやすい、覚えやすい言葉」
を発信し続けるという真意は、僕らに言語体系をコピーさせてくれていたのかもなぁ、と思う。
それを洗脳と言うか、宗教と感じるかは発信者の人徳次第ということになるが。