ハイ・コンセプト(6)

次は、「共感」。

共感は、想像力によりもたらされる大胆で驚くべき行動であり、
究極のバーチャル・リアリティなのだ。
他人の心に入り込み、その人の視点で世界を体験するのだから。


これを読んで思うのは、「物語」能力というものが「共感」に深く関与するということ。


僕が小説だったり、漫画だったり、映画だったり、ラーメンズのコントだったり、
あーこれすごくいいなぁー、と見終わった後で思うのは、
「共感」することができるものだ。


「見終わった後で思う」というのは、
見ている途中はその世界に入り込んでしまって、自分の意識がなくなっているから。
そういった感覚を呼び起こさせる能力のことを、「共感」といっているのだろう。


以前、このブログでも書いたような気がするが(覚えてない)、
コミュニケーションというのは疑似体験のプロセスだ。
疑似体験をさせるという行為が、「共感」を誘起することいえる。
これまでは小説や映画といった娯楽の世界の話だったこの能力が、
これからはその活躍の場を広げるということだろう。


ただし、本書で主張されている共感はそれ以外にもある。
上で僕がとりあげたのは、不特定多数の大衆の共感を誘起する話だが、
1:1の「共感」力も大事であると述べている。
相手の表情を見て、この人は今 何を考えているのかを察する能力とでもいうか。


これはわりと今のビジネスの世界においてもそうじゃないかなぁと思ったが、
アメリカとかのビジネス界はもっとドライなのかもしれない。
確かに、接客や医療現場での「共感」力は不足している。
消費者側としては、かなりの頻度で、そう思う。
「感じのよい対応」は、評価が難しいので、個人差が激しいということか。
それを組織全体に普及させるコンサルティングなんかがでてくるのかしら。



この章の最後に、(自分としては)面白い話が。

「コンセプトの時代」には、"中世的な思考"が不可欠
(中略)
「女性の脳はもともと共感力に優れている。
一方、男性の脳は、主として理解力とシステム構築力に優れている。」
(中略)
共感とは、知性からの逸脱でも、知性への唯一の手段でもない。
人は多くの場合、他人と調和する必要があるが、時には孤立することも必要だ。
これからはこの二つを切り替えられる人が成功するのだ。
何度も述べてきたことだが、「コンセプトの時代」には中世的な思考が必要なのである。

ほほぅ。。。
そういえば、「調和」の章にもこんな記述が。

クリエイティブで才能豊かな女性はそうでない女性よりも支配的でタフであり、
クリエイティブな男性は、他の男性に比べて繊細で攻撃性が低いことを発見した。
(中略)
「精神面が中世的な人は、事実上対応のレパートリーが倍になるので、
より豊かな視点で世間の人々と交流でき、多様なチャンスを手に入れることができるのだ。」
別の言葉で言えば、偉大な人は中世的なのである。

ニヤリ。
これはとりあえず信じておこうかしら。ウフフ。