ウェブ人間論(1)

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

発売日に買ったのだが、読むのに時間がかかってしまった。
後半部の議論が面白く、ある点からは一気に読めた(生活に余裕ができたのもあるが)。


印象に残ったのは2点。
1つは梅田望夫さんがなぜ、これほど世の中に普及したのかということと、
もう1つはウェブ時代の人間の生き方。


梅田望夫さんは、まだ僕が学生の頃にC-NETでの連載(英語で読むITトレンド)を読んで、
新しモノ、ネットに興味があった僕は夢中になってそれを読んだ。
その頃は、周りにこれを読んでいる人も全然居なかったし、
皆にそのことを熱く語っても、(生物学系の研究室だったせいか)9割の人は皆 興味を示さなかった。


その頃を考えると、今はずいぶん違うなぁ、と感じていた。
学生の頃にワクワクしていたことが、周りに理解されなかった経験があるせいか、
ウェブ進化論」が爆発的にヒットしたこと、
あの内容が、なぜこれほど世間一般に受けるのか、ということが
僕にはよくわからなかった。
世間一般で、ネット、グーグルが普及して、
ITのリテラシーが社会全体で上がったため、という理由だけでは、どこか釈然としなかったのだ。


今回、ウェブ進化論を読んでいて、
梅田望夫さんはサバイバルのビジョナリーなのだ」
と思いつき、やっと今の現状を理解できた気がする。


あとがきにも書かれていたが、梅田さんの立ち位置は

「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、
変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」

というところにある。


ウェブ進化論」は、父親に貸したまま実家にあるので今 読み返せないのだが、
多くの日本人が、ウェブが生活の一部になってきたことでの環境変化を感じ、
不安感を抱いている、ということなのだろう。


カエルを常温の水から少しずつ温めていって、
気づいたら茹でガエルになっている、という逸話と同じだ。
世の中の多くの人が、「どうも茹でられているようだ!」という感覚を持つほどに、世の中が変わったのだろう。


その中で梅田さんという人が、
「ちょっと先にはこうなるよ。」という松明をかかげているように見えているのではないか、と思った。



僕の身の回りでの変化を思うと、
最近うちの姉一家がオーストラリアに転勤になった。
60代半ばの父母に skype をすればテレビ電話ができるよ、と教えたらとても喜ばれた。
ただ、姉が mixi で日記をつけてそれを友だちだけに公開している
というところには、ものすごく不安感を持っていた。


なんか危ない人が読むんじゃないか、とか。
ワイドショーか何かでそういう事件をやっていたらしい。
僕の感覚としては、不安がる気持ちが理解できなかったのだが
「その世界」に足を踏み入れたことのない人には、未知への不安が大きいのだろう(今では喜んで読んでいるらしい)。


無論すべて安全、ということはなくて、
新しい世界をうまく生きるスキル(一度身につけてしまえば当たり前な習慣、という感じ)があればより快適な生活を送れるということだ。


ネット内での誹謗、中傷を「気にしない」ということができるかどうか、
というのは、「地球の平均気温が10度下がった時に生きのびられるかどうか」
ということに近い。
考え方一つだが、ネット社会になる中でこれができるできないは割と大きいように思う。


今回一番ハッとさせられたのは

インターネットの特性を利用して逆に身を守る方法はないか、と考えるんです。
(中略)
[膨大=ゼロ]と考えてみることから出発します。
全部オープンになっていると、逆に誰も全部は読まないんだと。
(中略)
それから、工夫するんです。
子供の名前を有名人と同じ名前にしておけば、隠れ蓑になって検索エンジンに引っかかんないじゃないか、とか。

というところ。


この辺の発想が、ネット世界に浸っている梅田さんが、
これから多くの人が通るであろう道を少し先んじて歩いてきた経験からでてきているのだろうと思う。


たぶん自分も含め、10代のころからインターネットに当たり前に接してきた人間は、
同じ状況に置かれた時に、こういう発想ができると思う。
耐性もある程度強いと思う。


だが、少し上の世代の人たちには、この発想が当たり前として出てこないように思う。
できなくはないと思うが、そうなるのには、数年くらいネットと親しむための期間が必要なように思う。
ネット世界になじみが薄い人たちにとって、
「ネット世界での当たり前」であることを説明できる梅田さんはビジョナリーなのだと思う。


逆にリアル世界での経験が薄い僕らからすると、
リアルとネットのバランスをとった生き方を模索してきた梅田さんの違う一面がビジョナリーになっている。

新しい時代を生き抜く哲学なのか、生き方なのか、まだわかりませんが、
ネット世界の存在を含めた新しい環境下では、平野さんが仰るところの、
「リアルの現状を改善する方向へ努力しなさい」というテーゼより、
「今の環境が悪いんだったら、他の合う環境を探して、そちらへ移れ」
という方が時代にあった哲学のような気がしています。

という内容は、ネット時代に関係ない、成功哲学のように思える。


読んでいて、
平野啓一郎さんは、
やはり非凡だな、と思った。才能もあり、努力もできる人。天才タイプに思えた。
こういう人が強い信念を持って、後世に名を残すようなことをするのかなと思うようなタイプだ。
全く勝手な想像だがそんなように思えた。


梅田望夫さんは(もちろん才能も努力も常人以上にされているのだが)、
「こんな生き方したいな」と思うタイプなのだ。
リアリストとしてのとても冷静な目を持って、
シリコンバレーという狂気の渦を生き抜いてきたしたたかさというか。


どちらも勝手な想像で失礼な話だが、そんな2タイプの「ウェブ人間」を感じた。


長くなってしまったので、
本テーマの「ウェブ時代の人間の生き方」は、あとにしよう。