坐禅(1)

年初に思いついた「坐禅」をやってきた。


「坐禅をしてみよう」と思いついたものの、
どこにいけばやれるものやら、とまずはインターネット調査。


最近はお寺もサイバー化していて、結構 坐禅をさせてくれるところが見つかる。
意外なことに、都会の喧騒溢れる我が家のそばにもあった。


続けるには家の近くがいいのだが、
そもそも坐禅をしてみようという動機の一つが、
厳かで静かな雰囲気の中で精神統一、というステレオタイプ願望なので、
せっかくなので雰囲気のいいところがいいなぁ、
という気分でお寺を探していた。



最終的に決めたのは、鶴見の總持寺
家からは遠いのだが、こちらには実家のお墓があり、
読経をしてもらう時には、坐禅をしている一角をいつも通って見ていた。
巨大なお寺で、(かなりIT化されている一面もあるが)
ミシミシ音を立てる長い廊下を100mくらい歩いたり、
古くて薄暗くて静かな建物が全般的に好きなのだ。




日曜日の13:00〜16:00(初心者は12:30集合)。
一回200円(初回700円)。という気安さも嬉しい。
仏教のいいところは、こういう押し付けがましさのないところだなと勝手に思っている。



ご先祖のお墓にお参りを済ませ、集合場所で待つ。
8人が集まる。上は70歳ほどのご老人から、下は20代後半の僕世代。
合掌の仕方などの簡単な説明を受け、
叉手(しゃしゅ)という歩く時の作法で別室に移動。
ここでも座り方について、お坊さんから簡単なレクチャーを受ける。


「我慢大会ではないので、足がしびれないように。
寒くないように、コートなどを羽織ってきていいですよ」
などと、やさしいお言葉。
そう、我慢大会ではないのだ。
なんとなくの偏見があったことに気づく。



坐禅をするのは常連の方々と一緒。
確か総勢70名ほどだったと思う。リピーターが多いようだ。


「初心者の方はこちら」という指示に従い、いざ坐禅部屋に。



四角く、広い部屋で床はコンクリート(かな?)張り。
6,70cmの高さに畳ばりの長細い台が広がっている。
この狭い畳にのぼって座らせていただくわけだが、この畳の台座は
ちょうど「回」の字のような感じで、部屋四重くらいに張り巡らされている。


(坐禅の作法については、こちらのサイトが詳しい)
まず坐蒲とよばれる座布団の形を整える。
コロコロまわしながら押す。球に近いような形にするそうだ。
隣位問訊、対坐問訊という挨拶をしてから、
台座の敷居に身体を触れないように身体を浮かせて坐蒲にのる。
この敷居(幅10cmくらい)は僧侶の方が食事をする机いなるので、触れないようにとのこと。


坐蒲に座ったら左手で坐蒲の後ろをつかみ、右手で畳を押して180度右回り。
畳の台座というのは幅1mもないような感じで、奥は壁になっている。
この壁(実際には上半分は障子様になっていたが)を向いて座るわけだ。


僕は身体が硬いので結跏趺坐(坐禅っぽいやつ)はもちろん、
半跏趺坐(片足だけあげる)もできず、胡坐のような形。
坐蒲には浅く座って両膝が畳につくようにする。足がしびれない様にだろうか。


姿勢を正し(頭で天井を突き破るイメージ)、呼吸を整える。
部屋は薄暗く、室内は静か。
70人くらいの人間がいるのに、
人ってこんなに音を立てないでいられるのだなぁと思うほど、シーンとしている。



こういうのいいなぁ、と思っていたところ静かに鐘が鳴る。
これが坐禅の開始なのだ。
これから40分間。とりあえず無心で座る。


最初に警策(きょうさく)を受ける。
よくテレビでやっている、お坊さんがバシッとやるあれだ。


「特に罰というわけではなく、これから坐禅を始めます。
がんばれよーというような感じで、行います」と説明を受けていたが、
これが意外とドキドキする。


僕は5番目だったのだが、音が結構いたそうなのだ。
「ピシャッ」というような音かと思っていたら、もうすこし重い。
「ボグッ」というような。


「意外とすげー痛いんじゃないか・・・」と、かなりドキドキしながら自分の番を待つ。


軽く右肩を叩かれ、一回低頭して、右肩を出す。
「ドッ」といような感じで叩かれるが、全然いたくない。
やはりそんな苦行のようなことはない(一般向けだから当たり前なのかもしれない)。



さてここからが本番。
座ってからは特にこうしなさい、というような指示はなかったので
(目線は半眼で下45度。手や呼吸など、形の指示についてはあったが、あとは無心になるのみ)、
自分なりに無心になるようにしてみる。



色々な音が聞こえてくる。
お堂の外で鳴くカラスの声や、風にざわめく木々の葉の音。
お寺の敷地内を走る車の音もたまに聞こえてくる。。。


非常に気持ちいい。
この静けさを求めていたのだ。
薄暗い部屋の中で半眼で白い壁を見つめているので、目からの刺激というものもかなり下がっている。
木になった気分になってみよう。
鳥の声や風の音と一緒に、自分も風景の一つになればいいんだ。。。


なんてかっこいい思いに浸っていたのも(すでにぜんぜん無心になれていないが)、
最初のうちだった。


時間感覚は全くなくなっていたのだが、ある一瞬から「刺激がないなー」と思ってしまった。
「暇だな。。。」とか。
これが雑念というやつなのだろう。
警策やってほしいなー、とか不謹慎なことを思う。


じょじょに足もしびれてくる。
日頃姿勢が悪いせいか、背筋が曲がってくる。背筋も疲れてくる。
「あと何分くらいなんだろ。。。」
無心も何もあったものではない。
それにしても両サイドに座っている人は全然うごかないし静かだ。
自分もそう見えているのか。
さっきから結構背中を丸めたり伸ばしたりしてるけど、他の人に見えるのかな。。。


などなど。。。
結構足のしびれがきたな。。。
でもたぶんまだ半分くらいしか過ぎてないんだろうな。どーしよー。
とか思っていると、鐘がなる。


これで一回目の坐禅が終わり。
とても気持ちよかったひと時と、自分の雑念っぷりが強く印象に残る。


「足の痺れが取れた方から降りてください」と言われ、
引き続き一呼吸に半歩ずつ進むというクールダウンのような歩く坐禅を少し行う。


意外とやれたな、という思いと
結構もうこれで満足なのでは、、、という思いと共に皆さんについて法話を聞く部屋へ移動する。