ニコニコ動画

先週末、遅ればせながらニコニコ動画を体験。
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はまってしまった。
なんとなく、ずーっと見てしまう。
以下、感想。

新しいネットの楽しみ方

ぼくは2ちゃんはほとんど見ないので、その空気はわからないのだが、
2ちゃんで盛り上がってる人たちってこういう感じなのかな、と
少し思ってしまった。


見ていた動画はほとんどがゲームのもの。
ゲーム好きだが、自宅にゲーム機はない。
(ゲームやってしまうと、社会人生活に支障が出るほどはまってしまう性格なので、
もう10年近く、ゲーム機は身近に置かないようにしている。)


ただこのニコニコ動画のゲーム動画をみていて、小学生の頃を思い出した。
僕は78年生まれなので、小学校のころはファミコン全盛期。
放課後、友だちの家でみんなでファミコン
っていうことがよくあった。


その感覚を思い出したのだ。
マリオが笑える落っこち方をしたときに「ちょwww」(←これの用法も始めてわかった)
とか皆でいって笑ってるような。
なんとなくそんな子供返りをして、しばらく動画を眺めてしまった。



考えてみると、YouTubeの本来のコンセプトもこんな感じなのかもしれない。
これまでどちらかというと「発信する」という側に重きが置かれ、
誰もが自分で作った面白いという画像をアップできます。表現できます。
というような感じだったのだが、
こちらは「皆で楽しむ」。一家団欒でテレビにつっこむような。


だれもが表現者であるわけでもなく、発信することが好きなわけではない。
ただ、ネットを介して「不特定多数の誰か一緒に」一つのものを楽しむ、
ニコニコ動画はそんな環境を提供している。
その辺は、なんとなくいいなと思った。


「時間」の乖離

ただしその「不特定多数の誰か」は実体ではない。
というか、時間が少しずつずれているのだ。
この辺がすごく面白い。


そもそもウェブの世界のいいところは、距離も時間もなくなるところだ。
アメリカのHPを見に行けば、一瞬でとべるし、メールを使えばいくらでもやり取りが瞬間的にできる。


だが、SecondLifeをやってみて、ウェブの世界で初めて「時差」を体感した。
日本人である僕がログインする頃には、アメリカ人のユーザーがすくないのだ。
SecondLifeの中はテレポーテーションができるので、
距離という概念は吹っ飛ばせるのだが、これまでに感じたことのなかった「時間」の壁を強く感じた。
「言葉」の壁よりも強く。
そして逆に、HPという静的なテキストは、「時間」の概念も消していたんだなということに気づいた。
(そういえば「本」は時間の概念を消した最たるものだ。)



一方、ニコニコ動画は、ゆるーく時間の概念をとばしている。
書き込まれているコメントはほぼリアルタイムでモニタリングされているが、
実際の画像にでてくるのは、書き込んだ人のタイミングなのだ。


だから、上述したように友達と一緒に「あはは」って笑っている感覚になるけど、
冷静になってみると、「過去の誰かある一瞬を共有して笑っている」という、
少し不思議な現象が起きているのだ。
よーく考えると、やはり本や掲示板と同じともいえて当たり前なことなのだろうけど、
この感覚は、なんとなく不思議なものだった。


なんとなくの一体感

ぼくは2ちゃんを見ない。
意図的に見ないようにしている。


面白いことがたくさん書いてあるのはしっているのだが、
言葉がきつかったりするのをたくさん見ていると、食あたりしてしまうというか、
わりとぐったりしてしまうので、あまり見ないのだ。


ニコニコ動画は、まだ始まって間もないということもあってか、
わりとそんなひどいコメントとかにはであっていない。
(そういうのがありそうな動画は見ない、というのもあるが)
「この動画うpしてくれたやつ神」みたいなのが多くて、
なんとなくいい感じだったのだ。
それも、長時間見てしまった理由かもしれない。




それにしても、ここに集まっている人のエネルギーって本当にすごいなと思う。
何かに使えないものか・・・と考えてしまうが、
きっと自由だからこのまったりとしたエネルギーが産まれているのだろう。


ただ日本のウェブの中には、
ベクトルの向きはどちらかは定まらないが、
こんなエネルギーが潜在しているのだということだけが感じられた。


ウェブの中の一個の生命体のように考えると、
そのいろんな方向へ向かって飛び出そうとしている塊が目に浮かんだ。