獣の奏者

獣の奏者 I 闘蛇編

獣の奏者 I 闘蛇編

獣の奏者 II 王獣編

獣の奏者 II 王獣編


2ヶ月くらい前に買ったのだけれど、ずっと読んでいなかった本。
ファンタジー小説を読むのはめったになかったけど、とても評判がよかったので、チェックしてみた。


期待は裏切られず、上、下あわせて5時間で一気読みした。


とにかく「絵」が、とても鮮明に浮かんでくる本だった。
人物であったり、自然であったり、闘蛇や王獣といった架空の生物であったりの描写がよい。
息遣いや温度、手触りが伝わってくる。
自分がアニメ監督だったらこうしたいな、と常に思いながら読んでいた感じ。
この世界は実写よりアニメの方が合っている。



獣使いとして成長していく主人公エリンと、
傷ついた王獣リランとの心の触れ合いが、メインテーマ。
懸命に理解しようとするエリンと、少しずつ心を開くリランとの間の描写は素晴らしかった。


どんなに愛情をかけて育てようとも、
人間と獣の間には決して理解し合えない壁が存在する。
そのために、人間は獣を操る時に「恐怖」の力を使う。
というのが、この世界の中での獣と人との基本的な関係で、獣の動きを止めてしまう「音無し笛」は
その恐怖によるコントロールの象徴だ。


だが、獣を恐怖でコントロールしようとする限り、壁は決して崩れない。
かといって、愛情は獣の本能の前に、時折 無力になる。
そんな葛藤の描写を読んでいて、思い出したことがある。



僕自身、この主人公と同じようなことをいつも思っていたことがある。
ペットの犬は、飼い主に紐でつながれた状態で幸せなのだろうかと。
もし自分が犬を飼うことがあれば、紐はつけないで放し飼いができるような広い庭の家に住むしかないなと。


実際に犬を飼ったことがなかったから、犬は紐を外してしまえば、
きっとどこか遠くに走っていってしまうと思っていたのだ。


だが、高校生の頃だったか、荒川を散歩していて偶然見た光景がその考えを変えてくれた。
荒川の土手の、広い芝生の空き地に、ホームレスのおじさんが昼寝をしていた。
原っぱの真ん中で昼寝をしていたのだが、彼は10匹近い犬を飼っていた。


飼っていた、というのは推測だ。
それらの犬は、すべて紐につながれておらず、首輪もつけていなかった。
だが、犬たちはおじさんを囲むようにして、そばにいたのだ。


その間隔は5mだったり10mだったりと犬によってまちまちだったし、
走り回っているものもいれば、地面に伏せて寝ているものもいたが、
彼らは皆、飼い主を中心に、放射状に配置していたのだ。


ホームレスのおじさんだから、そんなに頻繁に餌をあげていることもなかろう。
何か違った形で、かれらには確かに心のつながりがあるのだなと感じた。



あの時の芝生の青々とした感じと、幸せそうに、当たり前に主の傍らにいる犬たちが思い出されてきた。