所有欲の減退は価値が時間に推移していることの一つの表れかと思うこと(1)


所有欲の減退する若者。その意味と今後の戦略
大前研一さんのこの記事(とメールマガジン)を読んでいて、思ったこと。

3C(カー、クーラー、カラーテレビ)という標語に代表されるような
高度経済成長期から日本人を形作ってきた所有欲そのものが減退していることを
私は重く受け止めるべきだと考えています。

さらに言えば、こうした若者の実態の変化について、
なぜ10年でこれほど変わってしまったのか?ということを、
もっと突き詰めて研究するべきだと思います。

こうした研究は、まず社会的に必要性があるでしょう。

このまま“所有する”負担を避ける傾向が助長されると、
例えば、結婚して家庭を築くことや、家を買うこともしないという人が
益々増えていくのではないかと私は危惧しています。

僕自身、所有欲がかなり低い20代である、という自覚がある。


車が欲しいとは、やはり、全然 思わないし、家を持ちたいとも思っていない。
家庭を築こうとは思うけど。



さて、当事者的な意見として、なぜこのような嗜好になっているのか。


・ネット依存の生活による「所有」意識の希薄化
Google依存が進んで、自分のデジタル資産は「あちら側」に置く
という生活に慣れすぎたのもあるだろうと思う。
手元に紙媒体の情報を置いておくと、やはり整理や検索といった管理コストがかかる。
このコストがほとんどゼロになる生活は、慣れてしまうともう戻れない。



・「所有」するためのコストが相対的に増大している
あとは、2年前に自分のブログで書いていることだけど、
「所有」という行為によるコスト。
所有の対象が実体であれば、それはより重いものになる。
所有

そう、モノを所有すると
自分のスペース(空間的にも時間的にも)を消費することになるのだ。
所有することは責任を持つことという側面も持つ。

空間とのトレードオフという点も、コストとしては見逃せない。


このコストを重く感じるようになったのは、
モノを手に入れるコストが劇的に下がったからだろう。
簡単に手に入るものだから、思い入れもできないし、簡単に捨てることができる。
また手に入れればいいのだから。


別に悪いことではないかな、とも思う。
モノの価値がどんどん下がっていく環境では、経済活動としては健全な方向ではないか。
この「捨てる⇒買いなおす」サイクルは
メーカーが陥っているであろう、いいモノをつくればつくるほど
買い替えの動機を失わせるというジレンマに対する、一つの理想解だと思う。




・価値観が「所有」ではなく、「時間」にシフトしている


最近思うのが、これ。


「モノを所有することの価値とは何か」と、突き詰めて考えてみると、
「そのモノと一緒に過ごす時間」であると思うに至ったのだ。


たとえばクルマ。
クルマを所有することで得られる価値は、
「自分の好きな場所へ早くいけること」かもしれないし、
「運転をすること」自体が目的かもしれないし、
人によっては「そのクルマに乗っているところを他人に見られること」、「所有しているという事実」
なんてのもあろう。


ただ常に、「クルマと自分の関係」なのだ。
そしてこれには、減価償却的な考え方が働くように思うのだ。


1000万円のスポーツカーを2年間で100回使った。
とすると、1回のドライブという価値に対する費用は10万円。
これを、自分の物差しで見て、お値打ちかどうか判定することになる。


「持っているという事実」に価値がある場合には、
2年間で365×2=730日。
そうすると、1日あたり1.36万円で、「あのスポーツカーを持っている」という
優越感に浸ることができる。


ここで重要なのは、この場合の価値が「優越感に浸ることができる」ということ。
それが1日あたり1.36万円ですよ、ということ。



言いたいのは、「モノ」を所有するということは総じて、
「そのモノによって、なんらかの快楽を得ることができる時間」
に置き換えられるのではないかということ。


こう考えると、セカンドライフでの物欲などにも説明がつくと思う。