所有欲の減退は価値が時間に推移していることの一つの表れかと思うこと(2)
考えてみると、価値というものは全て
各個人にとっての「時間」に帰結するのではないだろうか。
モノを「所有」することで裕福になる時間
については前節で述べたとおりだが、「家族」は「所有」にあてはまらないように思う。
「家族」はどちらかというと環境ではないか。
自分にとって幸福な時間を一緒に過ごせる、一緒に思い出をつくりあげていく共同体というか。
「所有する」とは少し違うと思う。
結婚が晩婚化していることと、所有欲の減退は少し違うと思う。
(「所有」という愛情表現もあるのかもしれないけど。)
これから「価値」があるとされるモノには、2通りあると思う。
- 「幸福な時間を過ごさせてくれるモノ」
- 「時間をつくり出してくれるモノ」
ここでいうモノは、もはや実体があるものだけではなくって
サービスであったり、ノウハウであったりも含む。
**幸福な時間を過ごさせてくれるモノ
「所有」することによって、幸福な時間を過ごさせてくれるモノ。
クルマだったりケータイだったり、人によって千差万別。
家を持つことは、家族と理想的な時間を過ごすための空間を買うともいえる。
「体験」すること。
珍しい体験、幸福な体験。
映画だったり遊園地だったりもここに含まれる。
旅行をするだとか、おいしいものを食べる(高級レストラン)だとか、
素敵な建物の空気に酔いしれるという場所代だとかも、ここに分類できる。
ほとんどがこれに当てはまってしまうかな。
「休息」すること。
きっとこういう分野も伸びると思う。
この情報過多の時代、どこにいてもなんらかの刺激がある。
それら刺激の少ない時間というのは、貴重になってくると思う。大自然とか。
(休息という幸福な体験ともいえてしまうが。)
で、これら価値の大きさは、
単位時間当たりの幸福を感じる量
ということになる。
これに対して、もう一つの価値。
流量の観点からすると、「幸福な時間の絶対量」を増やす必要がある。
**「時間をつくり出してくれるモノ」
この1年くらい、急速に Lifehacks 分野の書籍が増えてきた。
雑誌でもやたらと取り上げられているし、「定時に帰るための技術」みたいなハウツー本が多い。
仕事を「幸福な時間」と考えていない人からすれば、
仕事に従事している時間を削ることは、「幸福な時間になりうる時間」をつくりだしてくれるサービスだ。
これに皆が喜んでお金を出している。
時間は誰にとっても公平、1日24時間は不変だ。
この24時間の中から、いかに幸福な時間をつくりだすか。
1日の幸福量は、
1日の幸福量=Σ(時間A)×(単位時間当たりの幸福量) − Σ(時間B)×(単位時間当たりの不幸量)
※ 時間A + 時間B = 24時間
と表せるので、時間Aを増やして、時間Bを減らすことに皆注力するだろう。
とても当たり前なことだけど。
こうやって考えてくると、自分の感覚としては当たり前の価値判断基準なのだが、
おそらく50年前の方たちは、こんなこと考えてなかったと思う。
それは、今が生存の危機もないし、
物資的な不足感もない、とても満ち足りた世界だから。
そんな世界での人生の目的は、
幸福な時間の積み重ねの総量を増やすことになっていくのじゃないかなぁと思う。
最後にビジネスという観点から考えると、
- 単位時間当たりの幸福量を増加させるサービス
幸福を感じるタイミングは、人それぞれ違うので千差万別なサービスがある。
なのでマーケティング的な、セグメントごとのビジネスが成り立つ。
- 幸福なことに使える時間を増やすサービス
時間はみな不変。
とすると、これは全世界、全人種、全セグメントに適用できるものになるんじゃないかなと。
今すでにイロイロあるけれど、より直接的に時間を生み出せるようなことはできないものか。
「モモ」は、まだ読んだことないけど、読んでみようかな。。
- 作者: ミヒャエル・エンデ,大島かおり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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