削除の歴史がニコニコの魅力でもあると思う

ニコニコ動画について、
小飼弾さんの書いていた文章が非常によくまとまっていて、
なんとなく自分も書きたくなってしまった。


何にグッときたかというと、

線がはっきりわかって誰もニコニコしていないのと、
線はおぼろげで見えないけどみんながニコニコしているのとどちらがよいか

というのと、

ニコニコ動画の運営を見て心から感歎するのは、その運営の絶妙さ。

というあたり。
このへんのことを、非常によく表現されてるなぁと。特にそう思った。


あと自分がニコニコ動画に対して思うのは、削除の巧さ。
本来は「体制」という反発を生んでしまう削除イベントを、
ユーザーも、運営も(?)、皆で楽しんでいるところだ。




そのことをよく表しているなと思うのが、
下記三部作。
僕は自分でアップロードしたことはまだないのだけど、
これらの動画はとても好きだ。



ぼくは2chのVIPの歴史とかはあまりわかっていないのだけど、
こういう「祭り」は、やはり場を盛り上げるに非常に効果的だと思う。
運営側も(真剣なのかもしれないので勝手な推測だけど)、
この対決をイベントとして、楽しんでやっているところもあるのではないかなと。
そうでなければ、もっとバッサリと切ってしまえば済む話なので。


で、ユーザーがそのイベントを楽しむために
ニコニコの中の人たち(削除人)はどんな役を演じているかというと、
ドラえもんの空き地の横に住んでいるカミナリ親父の役なのだと思う。
のび太達が空き地で野球をしていて、
ホームランでガラスを割ってしまった時に「こらー!!!」とでてくるあのおじいさん。
何枚窓ガラスを割られても、
あのおじさんは「こらー!!!」というだけで、
空き地で野球することを禁止したり、塀に無粋な柵を立てたりしない。
そういう感じだ。


子供たちは怒られると分かっていながらいたずらをする。
大人はそれをちゃんと叱ってくれる。


それに同じことが、ニコニコの不正画像アップロードと削除の歴史に見られる。
最近、実社会でもこういう構図って減っているんじゃないかなと思う。
だからニコニコに不正画像をアップロードして削除人に怒られる(削除される)という、
「ちょっとしたいたずら」を行って、それを楽しんでいる人もいるんじゃないかなと。


子供の頃に友だちとやったいたずらは、
楽しい記憶として鮮明に心に残っているものだし。


なので、ニコニコ動画の人気の要因の一つは、
こういう「不正動画の削除」という行為を、
(きっと大変なのだろうでしょうが)テクノロジーじゃなく人力で、
それもとっても人情味をもってやっているところにあると思う。
こういう基本姿勢のウェブサービスなのだと。
そこが「ゆるさ」というか「温かさ」なのかなと思うのだ。


こういう考え方は、合理的にみればムダかもしれないけど、
そんなムダなことに人の心はやはり動かされるのかなと。
ウェブサービスというブラウザの向こう側に、
「ニコニコ」というカミナリ親父(そんな怖くないけど)を感じるのかなと。



ただやっぱり

ニコニコ動画の運営の特長は、アクティブではなくリアクティブであること。ニコニコ動画がどこに行くかは、運営者ではなく利用者が決める。注意して欲しいのは、ここでいう「利用者」は、単なる「視聴者」のみを指すのではなく、コメントを打つ人からオリジナル作品をアップロードする人まで、著作者から視聴者までの全ての段階の人々を指している。

リアクティブであるということは、アクションを起こすまでにどうしてもタイムラグが生じるということだ。実は「線のぼけ」というのは、このタイムラグを稼ぐためのマージンとしても働く。これがGANTZばりに、線を超えたら確実に脳をふっとばされるという実装だったらどうか。運営は何の工夫もいらない代わりに、利用者はとてもニコニコしていられない。

これが一番巧いな、とは思う。