「ウェブ時代をゆく」を読んで

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)


読んだ一番正直な感想は、「救われた」ということ。


表現が少し大げさかもしれないけれど、
それが読んでいる時に、一番強く思ったことなのでそうなのだろう。


「救われた」というのは、
ここ数年間、「どう生きていけばいいのか」ということに悩んで、考え結果
自分なりにたどり着いた結論が、それほど間違ってはいなかったと思えたこと。
具体的には、「けものみち」の生き方。
そういう生き方もアリなんだよ、と自らの体験から教えてくれたこと。
肩の力が抜けたというか、一瞬でも、将来のことを考えている中で安心できた。


今回の感想は、この一点に尽きてしまう。



今の時代が大変化の時代だということは自覚があった。
チャンスに溢れた時代だということも、十分に感じていた。


じゃあどうすればいいか。
プログラムもそれなりに書けるし、ウェブリテラシーも人並み以上くらいにはあるけれど、
オープンソースに参加するとか、自分でサービスをやってみるとか、
ブログなんかを読み漁った結論は、やっぱりそういうことを自分でやってみることが大事なんだろうと。


オープンソースコミュニティがどんなところなのか、
サービスを自分で運用してみたらどんなことが起きるのか、
それは実際に体験してみないと分からないことだから、そういう目的で飛び込むことはできる。
けど、LinuxPerlの世界でトップハッカーになるということに、
そこまで情熱をもてなかった。
怠惰といえばそれまでだけど、人生を賭ける意気込みがもてなかった。(もっと気楽に飛び込むべきことなのだろうけど)


自分のいる会社も、ベンチャーのつもりで入社したけど、
今では大きくなって、大分 普通の会社になってきていて(悪いことではないと思うけど)、
このまま普通に働いて、時間がすぎていくのが怖かった。
今の仕事に全力で打ち込んで、まずその道を極めることをしようと頑張ってきたつもりだけど、
このままでいいのかなという思いが、いつもあった。



「この時代に生まれた幸運を活かして、今という変化の時代を十分に満喫したい」
というのが、僕の根源的な欲求になっている。
バイオ研究をやってた時も、
アカデミックな世界を出てビジネス世界に行こうと決心した時も、
大企業でなく、ベンチャーにいこうと思ったときも、
「新しくて未定義な分野」の可能性みたいなものにあこがれて、これまで生きてきた。
その時の判断基準はいつも、「あとで振り返ってみた時に絶対に後悔しないこと」。
その点は今でも満たせている。


でも、今の自分に何ができるのか、
自分の身一つでどうやって生きていけるのか。
それを考えると、ものすごい不安感がずっとつきまとっている。
それは、これを書いている今も変わってない。
将来のことを考えると、本当に身体が緊張してくるのが分かるくらいに、不安感がある。


文中に何度も自分にあてはまるような描写があった。

あるとき、優秀で人付き合いもきちんとこなす日本の若者(二十代後半)と話していて、
「明日会社を辞めることになったらまず何をする?」と尋ねたところ、彼は絶句してしまった。
きっと頭の中が真っ白になったのだろう。しばらくして
「転職先も一人でできる職業のイメージも浮かばない」と、自信なさげに私に言うのである。

僕が優秀かどうかは置いておいて、これを読んでいて、ドキッとした。
自分もそうだと思うからだ。
普通に就職活動をすれば、いきたいところもあるし、どこかには入れるとは思うけれど、
この問答の本質からすれば、僕はこの「若者」と同じ感覚なのだ。


自分の担当プロジェクトでは、2年くらい一つのお客様と接しているが、
お客様との交渉を一人でやることはあっても、自分の組織の代表者として仕事をしているわけで、
自分単体で仕事をしているわけではない。
上下の周りのみんなに支えられてやっているのだ。一人で立っているわけではない。


優等生ほど「けものみち」への想像力を欠き、未来に茫漠とした不安な気持ちを抱いている。

僕は「優等生」だと思う。
小さい頃から周りの人に常々言われてきたことだし、自分でもそう思っていた。
ただし、今でもそうだけど、「優等生」と呼ばれることは、とてもイヤだった。
でも、どうやったら「優等生」じゃなくなるのか、が分からないのだ。
自分では自然に、普通にしているつもりでも周りからはそう呼ばれる/見なされる。
どうしてなのか。状況を打破できていないことにまた苛立つ。


だから大組織向きだともよく言われたし、
いったらそこそこ出世とかはするだろうなとは就職活動の時には思った。
学級委員とかバスケ部のマネージャーとか、
チームの和をつくりあげるということを小さい頃から無意識に続けていたせいだろうか。
(能力はおいておいて、志向、性格として)
文中で挙げられていた大組織で成功する要素の7つはみな当てはまるように思う。


でも、そうじゃない生き方がしたい、と思ってしまうのだ。
単なる憧れなのかもしれないけれど、現実を見ろと言われても、
順調な道じゃなくても、自分の思う理想に向かって生きるほうがいいなと思う。
「あとで振り返ってみた時に絶対に後悔しないこと」が僕の人生の行動指針なのだ。


そして本書の言葉を借りれば、
「高く険しい道」を行くのではなく、「けものみち」を行こうと決めたところだった。
(「言葉の定義」をしてくれたおかげで話ができるようになった。
僕は、「直接ウェブプログラミングとは関係しないような分野でウェブを使い倒して生きていく」
というような言葉を思っていた。
そんなことを考えていたから、
ぴったり重なるわけではないが、「けものみち」という言葉はすんなりと入ってきた。)



そう決めてからはますます自分の小ささや、非力さばかりが目についてしまう。
(ウェブから「すごい人」の情報を収集しすぎているからかもしれない。)


「高く険しい道」を登っておらず、「けものみち」がどんなものかも分かっていない状況。
まさに本書がターゲットとしていた人なのではないかと、読みながらつくづく思っていた。
なので、本書で繰返し述べられる前向きな言葉は、本当に心に沁みた。

「時代の変わり目」を生きるためにいちばん重要なのは、「古い価値観」に過剰適応しないことである。
そのことに自覚的かつ意識的であってほしい。
どんな変化であれ、それが天災や事故のような突然の打撃ではなく、
ゆっくりと皆に訪れるものなら、
それは「荒海に飛び込む」ようなものではなく「雨の日に自転車に乗る」くらいのことなのだ。
すでにそちらの世界で軽やかにやっているひともいるごく普通のもうひとつの世界なのだ。
しかし「古い価値観」に過剰適応してしまった人にはそう思えない。
「はじめの一歩」を踏み出す前に身体がすくんで、新しいことへの挑戦を自分の心が縛ってしまう。
その呪縛をできるだけ若いうちに解いてほしいと思うのである。

これはきっといくら考えていても同じで、行動するしか呪縛を解く方法はないのだなと思う。
たぶん痛い目とかにもあって、転んだり這いずり回ったりしながら進んでいくことで、
気づいたら呪縛なんてなくなっているのだろう。


「はじめの一歩」は、二週間前から、少し前に踏み出したつもりだ。
傍から見れば「それだけ?」というような一歩かもしれないけど、
本書はその一歩を肯定してくれたように感じて、挑戦をする勇気をもらったように思います。


もちろん、今の自分に足りないことはいっぱいある。
昨日、梅田さんの講演会で「個人として仕事を取るにはどうすればいいのか」という質問をした際、
「能力を自分の個性として仕事を取るのではない。
自分より優秀な人は、君が思っているよりも本当にたくさん世の中に入る。
そうではなく、一つ一つの出会いを大切にして、丁寧に生きていくことが大事だ。」
という趣旨の回答をしてくださった。


自分が生きていくにはどうすればいいんだろう、
と自分のことしか考えてなかったなということに気づかされ、
人間力という意味でも、自分は本当にまだまだだなということにも気づかされたが、
それはこれから頑張って身につけていくべきことの一つなのだろうと。
まずは進んでいくしかないと。
そういう前向きな思いになれました。


(講演会があると言っただけで、出張を代わってくださったA木さんには本当に感謝でした。。。)