産業革命時代の「人生大学」

ウェブ時代をゆく」の反響がやはり大きい。
こういう話題は、皆が好きだし身近な話題として自分もブログと書きやすいからなんだろうか、
と思っていたのだが、そうじゃないと思いついた。


自分がまさにそうなのだけれど、
ブログや本を大量に読んで感想なんかを書いているモチベーションって、
「どう生きるかを学ぶ」
ことにあるんじゃないか。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)


梅田望夫さんや小飼弾さん初め、
5,6人の欠かさずチェックするブログをRSSに登録して、
更新直後に毎日読んでたり、
これは良さそう!と思った本をAmazonで買って、
毎月結構な額 投資して読んでいるモチベーションの源泉って、
(純粋に楽しんでいる面も多々あるけれど)
この「どう生きるか」の手がかりを知ろうとしている、
ということに行き着くことに気づいた。少なくとも自分の場合は。



それをもう少し一般化して考えると、
ウェブ上、特にブロゴスフィア上に
「人生」を教える大学が出現した、といってもいいんじゃないだろうか。


「人生」を教えるなんて?!と最初は思ったけど、それはまだ自分の考えが追いついていないからだ。
多分、産業革命明治維新の時代、初めて大学ができて「技術教育」が始まった時に、
自分だけの秘伝をもって成功していた職人たちもそういう風に思っただろうし、
それに憧れながらも技術がない職人たちもそう思ったことだと思う。
ましてやそれまでなかった新しい職業「電気」や「鉄道」なんて、
もっと得体の知れないものだっただろう。
でも、成功を夢見て「技術教育」に飛び込んでいった人たちが頑張って学んで、その後の時代をつくった。


ここ最近のブロゴスフィアで何となくある機運が、この「大学教育」であり、
その中の大きな科目の一つが「人生」であるように感じるのだ。



ブログの一番の特長は、自分が憧れていたり、興味を持っているけれど
普通には会うことはできないような人達の、素の本音や、日頃の考え方なんかを
垣間みれることだと思う。


これは「ロールモデル思考法」の一つの実践だと思う。
今まさに同時代を生きている人の、生の声を聞くことができるのだから。
それに、ある程度人生経験があって成功を納めている人たちのブログからは、
そういう教育的な空気を感じることがよくあるのだ
(決して教えてやるよ的なものではなくて、自分の秘伝を垣間見せてくれているような感じだ)。


この人たちがいわば「大学教授」。



また、集合知が生み出した「仮想大学教授」もいる。
顔が見えない(有名でないという意味で)、でもいいこと書いている人たち。
こういう玉石混淆な人たちのブログ集合から、「はてブ」なんかのおかげで、
いいこと書いている記事というのに出会える。
自分が「学ぶべきこと」と感じた記事は記憶に残るので、
それが頭の中で自己組織化して、ぼんやりと「仮想大学教授」になっていく。


教科書はその時々のブログだったり、本だったりLife Hacks記事だったり
色々とあるのだけど、これまでと違うのはこの「大学教授」役の人(仮想的でも)がいるということ。


じゃあ「大学教授」がいるといないとで何がちがうの?
今後 世界はどう変わっていくの?
というと、
やっぱり最初に書いた明治維新の頃の、初めての大学ができて日本がどう変わっていったのか
というようなことになるんじゃないかなと。


「人生」を学んだからって、皆が画一的に生きるようになる訳じゃない。
それは電気工学を学んだ人が、いろんな電気製品を発明、開発できるようになるのと一緒。


それにこれって、プログラミングに関してはもう10年以上前から当たり前のようにある事実。
そこに「人生」っていう科目も最近は履修者が増えてきたという程度の感覚。


なので、ただうまく生きるコツを学べればいいのではないかと。
激動の時代をサバイブする技術を学ぶのだと。


自分はそういう学生であるな、今。