Every Breath の感想(1)

エヴリブレス

エヴリブレス

「生命とは何か」
本書の中で何回か引用がでてくる本の題名だが、
それがこの本の、瀬名秀明さんのテーマなのだと思う。
教科書に載っている「生命とは何か」は、文中に出てくる。

「姉さん、生命の定義は」
「定義?膜があって、エネルギー代謝して、子孫を残す、でしょ」
「それはただの特徴だよ。・・・

ちゃんと調べていないけれど、
たぶん、今 現在では生命の定義はできていない。


文中では、
それが金融工学の中で定義されることになっている。
金融をモデル化するということが、
自然現象をモデル化するということよりも複雑で、
それがより「生命を記述するのにふさわしい」言語であるという発想は、
言われてみると納得できた。


というのも、ここで出てくるモデル化された「生命」は、
あるインプットを与えるとあるアウトプットを出力する関数(数式)
であることには違いがないのだが、
そのアウトプットの形式が物理的なもの(行動であったり、反応)ではなく、
想念であるから。


金融というものが、人が作り上げたルールの中で動くゲームのはずなのに、
そのルールを決めている人間にも予測のつかない動きを示すようになったのは、
それが参加している無数の人間の想念の集合体であるからだろう。
言われてみれば、そういう発想はこれまで全くなかった。


(こういう想いを持って仕事をやっている業界の方も少ないのだろうが)
はからずも本書を読んで、金融という仕事ものを見る目が大いに変わった。


それと本書の中で述べられている今という一瞬一瞬の描写が素晴らしかった。
それは1つのきれいな文章でさらっと表されているというよりは、
BRTというセカンドライフのような仮想現実世界の記述をとおして語られているものだけれど、

たとえばトランプカードを手のひらからもう一方の手のひらへ、上から下へ一枚ずつぱらぱらと落としてゆくとしよう。カードゲームの用語でドリブルといわれる操作だ。その途中で「ストップ」といって、時間を止める。五ニ枚のカードが上から下まですべて少しずつ離れて宙に浮かぶ。その並行世界すべてが「BRT」のレイヤーだ。実際には五二枚どころではなく、マジシャンの両手を超えて上へ、下へ、カードは無限ともいえるほどに続いてゆく。

ここにいたく感動した。
そう、そういうことを言いたかったんだと。
なんてうまく表現するのだろうと。


僕もインターネットが普及したことで、
この並行世界がよりはっきりと感じられるようになったと思っていた。


ただ、僕が思っていたのには時間の概念がなく、
今現在の僕が、所属している様々な世界によって
少しずつ違う顔を見せているというような、ペルソナ的なもの。


トランプカードに例えて言うならば、
マジシャンが「この中から一枚カードを引いてください」と、
カードを扇状に広げる。その一枚一枚に僕が存在していて、
「今」という一瞬でも、すこしずつ違った顔を見せているというもの。


今ブログで僕の文章を読んでくれている人にとっては、
僕は文章によって想起される顔をしているだろうし、
SNSでは違う顔をしているだろうし、
実際の世界でもまた違う。


そういういくつもの顔があるということは、
自分で書いたブログをふと読み返してみた時から、
肌で感じるようになった。


さらにブログには、「時間」という概念がはっきりと存在する。
何年か前に書いた自分の文章を読むと、
当時の気分を思い出せることはできるのだけれど、
その時の自分は今の自分とは全くの他人に思えることがある。
文中の BRT の世界に描かれていた並行世界も、きっとその感覚なのだろう。


そう理解してみると、
この考え方はとても素敵だなと思うようになった。


これまで自分の生きてきた道を振り返ってみて、
そこに不満や後悔を感じることはないのだけれど、
あの時、必死に思い悩んで道を選んでいた自分が今でもどこかで生きている、
というように思うと、愛おしさというか、不思議な郷愁感のようなものを感じる。
それはこれからも前に進んでいくことへの安心感も与えてくれる気がして、
不思議な安らぎをおぼえた。
こうやってブログを書いていることで、
「今」の僕も、ネット空間にまた新たな生命を得るような感じまでしてくる。



生命機械論的な生命への理解、研究は、
分子生物学的な側面からも、ロボット工学的な側面からも、
だいぶ進んできたし、これからもすごい勢いで進むのだと思う。


ただ、Every Breath を読んで感じた、「想念」としての生命への理解は、
もう一段階先の話だ。
それはインターネットを通じてたくさんの人の想念が
「情報」として集積、蓄積されるようになったこれからの分野なんだと思っている。


僕が瀬名秀明さんが好きなのは、何度もここに書いてきているが、
BRAIN VALLEY を読んで、ミームという概念を知って、そこに新しい「何か」を感じたから。
それは自分にとって本当に鳥肌もののパラダイムシフトだったのだけれど、
本作を読んでも、やはりそういう思想というか、
あの時と同じ「何か」を感じることができて、とても嬉しかった。

BRAIN VALLEY〈下〉 (新潮文庫)

BRAIN VALLEY〈下〉 (新潮文庫)

BRAIN VALLEY〈上〉 (新潮文庫)

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長くなったので、章を分けます。。