ナレッジエンジニア 〜はじめての課長の教科書

はじめての課長の教科書

はじめての課長の教科書

とても実践的な本。
教育の目的は生徒が学んだことを実行できるようになることだと思うに、概念の説明とすぐに実践できそうな具体的な手段がバランスよく書かれていた。


課長の役割は部下のモチベーション管理が一番大事ということや、本業のルーティンワークから外れた例外を処理することに意義があるという話も納得。
そしてそれがなぜなのかといえば、「課長」という経営社と末端社員の間に位置する役割だからという説明も分かりやすかった。

中間管理職は、現場から「重要な現場情報」を引き上げ、それを「経営者が描いた大きなビジョン」をつなぐために知恵を絞る「ミドル・アップダウン」な活動をするのです。


文中で紹介されていた、野中郁次郎教授が提唱したというナレッジエンジニアという言葉が、なるほどしっくりときた。

トップが会社のビジョンや「夢」を描き、現場にいる末端社員が最前線で「現実」を見るときの「夢と現実のギャップ」を橋渡ししつつ、事業や製品についてのコンセプトを想像する結び目(または架け橋、ナレッジ・エンジニア)として中間管理職を位置づけています。

知識産業の中で一番重要な部分であるということは実感を持って理解できた(縁の下の力持ち的な感じ)。



世界が知識産業の時代に入ってきたということが、だんだん実感を持って感じられるようになってきた。
頭脳労働であっても、決まったことを早く、正確にやっているだけではダメな時代には結構前から入ってきている。それは、こういった仕事はコンピュータで置き換えがきいたから。
膨大な量の繰り返し計算や、大量な資料の中から素早く目的の情報を見つけ出す、といったことはコンピュータが上手にやってくれる。


ここ数年で、日常業務をサポートするツールは大いに成長した。
ソリューション展やソフトウェア開発環境展などにいって、最新のCADやら開発環境やら(Eclipseで十分すごすぎるのだけど・・・)みると、それは本当に実感できる。個々人が自分の担当作業をこなす能力は、もうあと数年もすれば、これ以上ないくらいにエンハンスされるんじゃないだろうか。


では、今の課題は何かというと、複数の人が集まって知的労働をする支援ツールがないということ。
これが、思いのほかコンピュータとの相性が良くないのではないかと思っている。電子メールやIM、WiKi社内SNSBTS、議事録支援、、、
便利なツールが、今、百花繚乱・群雄割拠だ。
サイボウズ・ラボのミッションが「情報共有のためのソフトウェア技術を研究開発することです」というのは彗眼だと思う。今、ほとんどの会社で困っていて、解が見出せないのが複数人のコラボレーションで知識をアウトプットとするような情報共有支援ではないだろうか。
企画をするのも、設計するのも、生産するのも、営業するのも、複数の人間が1つのことを成し遂げること、それも目に見えない「知識」という材料が題材である。全世界、全業種的なテーマであろう。


なので、システム化したいのは分かる。市場も莫大に見込める。僕もそう思う。

ただ、ちょっと人間を忘れすぎじゃないのか?と思う。
というより、本書を読んでいて、それを思い出させられた。


人間が100人いたら、そこには100通りの個性があり、100×99の組み合わせ効果が、いや無限の組み合わせ効果がでてくる。そういう柔軟な対応を求められる問題は、システムはあまり得意ではない。
それはヒトの得意分野だ。


それに、例外が発生するのはヒトとヒトとの間だけではない。
システムとヒトとの間でも、例外は多く生じる。
これからも経理作業の効率化は、生産ラインの効率化は、設計業務の効率化はシステム化でどんどん早くなっていくだろう。
でも、そこで起こりうるすべての例外を吸収するシステムを設計するのは現実的ではない。
システムが直列的に業務を流そうとすればするほど、現場にいる個性を持った人間たちと理想のプロセスとの間に軋轢ができてくるだろう。それを吸収していくのも、現場で柔軟に対応方針を決めて実行していくヒトたちなのだ。



知識産業時代はまだ始まったばかりだ。
ナレッジエンジニアは、しばらくは知識産業の職人として、十二分にその力を発揮することができるだろう。
ヒトとヒトとの間をつないでアウトプットを出していく力は、これからどんどんシステム化、IT化もされてはいくだろうけれども、その主役は(まだ当分は)人間、課長たちなんだと思った。