ライ麦畑でつかまえて

ーほとんど全く理解できず。。。

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ


前々からよく聞く一冊ではあったのだけど、
先日古本屋で売っていたので、村上春樹訳なんだ、ということもあって手に取ってみた。
こういうのも何かの縁なのかなと。


で、出だしから最期まで「・・・で?」と思い続けていたら、終わってしまった。
そんな印象。



確かに表現の描写力はすごいなと思う。
主人公ホールデンの独り語りで話は進むのだけど、それぞれの画が鮮明に頭に浮かぶ。
(それだけ本作の影響を受けた作品が多いということなのかもしれないけど)映画を見ているような感じ。


そういう中で、十代の不安定さ、自分に対する無力感や焦燥感、いかんともしがたい外部環境、
みたいなものは非常に良く描かれている。
癖のあるルームメイトを初めとする友人も、
その顔まで鮮明なイメージを持って浮かぶように見て取れる。
村上春樹の訳も、とても活き活きしていて文章としてはすごいなと思う。


そういう過程を楽しむ話だと言うのであればそれはそれでいいのだけど。
学生時代の友人で、驚くほど老成していて、世間を達観していた人がいたのだけど
(彼の場合、人生のあまりに早い時期に色々なことを経験しすぎてしまったのかもしれないけど)、
その彼を思い出しながら、読んでいた。
才能にあふれすぎていた人だけど、元気にやってるだろうか。


ホールデンの心情は結構 理解できるところもあるのだけど、
自分はそこまで繊細でもなく、そこまで斜に構えてもいないかな、みたいな。

『未成熟成るもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』

という言葉が心に残ったかな。
こういうのをいいと思っちゃうような人になったということは、
ホールデンには、「とんでもなく見苦しいインチキ野郎だよ、いや、本当に。」とか言われそうだけど。


ブログを長らく中断していたのだけど、
再開するきっかけを与えてくれた作品としては素晴らしかったと思うんだよね、いや、まじめな話。