サロゲート(2) 切断可能なコミュニケーション

石黒先生の対談が面白い。
(映画を観る場合には後に読んだ方がよいかも。)
WIRED.jp


同レビュー中でも書かれていたけど、この映画で面白かったのはロボット抜きでも起こりそうなコミュニケーションに関する問題がいくつか描かれていたこと。


人々がサロゲート経由でしかコミュニケーションをしなくなることによる弊害。たとえば主人公の奥さんは、一つ屋根の下に住んでいても旦那さんに生身の姿をさらしてくれない。心に深い傷を負っているのが原因であるのだけど、主人公がそのことに触れるとサロゲートの接続を切ってしまうのだ。


コミュニケーションを簡単に拒否することが出来る世界。これって普通にケータイで話していてプツッ、って切ってしまう状況と同じだなと。mixi とか twitter とかでのつながりもそう。嫌になったら一方的に断絶することができるのだ。


傷つくことは誰だって怖い。そこで簡単にそこから逃げられる手段があれば、人は逃げてしまうんだろう。でも、あとで一人になって感じる孤独、空虚感はよりいっそうのものになる。この辺はロボット云々でなく、今まさに起きていることだなという感覚でみていた。それは twitter とかで「ゆるく」つながることに慣れてきた僕には少し冷や水をかけられた感覚があった。


例え美しくなく、若くなく、強くなくても、仮想的なつながりの中でかぶっているペルソナを脱いで「自分」をさらけ出すことでしか伝えられない何かがある、ということがこの映画の中の一つのメッセージであったように感じた。


技術が発展してコミュニケーション手段はどんどん増えている。手紙、電話、ケータイ、メール、インターネット、ブログ、ツイッター、、、
でも人間同士が直接向き合って、触れ合ってするコミュニケーションで伝えられるものを代替できるようになるのは、まだまだ先のことなのかもしれないなあと思った。