東京の暗い夜

震災後の節電の一環として、都内のコンビニでは照明を部分的に落として営業している店舗が増えている。以前のコンビニと比べると、まるで店がおやすみ家の様に見えるところもあるが、僕はこれは非常に言いことだと思っている。

節電していてえらい、自粛ムードを醸しだしてえらいということではない。夜は、暗くあるべきだと思っているからだ。


世界中がそうかも知れないが、夜の暗闇はネオンや街灯の明かりによって、年々侵食されている。治安がよくなるというメリットはあるものの、安全(危険性がないという方が正確)という金看板のもとに、残された暗闇をしらみ潰しになくすかのように東京の街は明るくなり続けてきた。
その象徴がコンビニだ。コンビニの入口や店内は、夜中の2時3時であっても目が眩むほどの明るさで僕らを出迎えてくれる。
先日の震災後に、いつもよりも少し暗くなった道を歩いてコンビニに行ったとき、店内に入った瞬間に本当にその眩さに目が眩んだ。これまでこの眩しさを普通と思っていたが、それはひどく不自然なことだったのだと、その時に思い知らされた。


震災を機に街に戻りつつある暗闇に身を浸してみると、それは恐ろしいものではなく、静かな夜の気配を感じさせてくれるものでもあるということを思い出させてくれる。いつもより少し暗い夜道を歩いていると、ふと夜空に星が出ていることに気づく。これまで気にとめていなかった樹々が風にそよぐ音にも気づく。そうして、少しだけ自分の感覚が研ぎ澄まされたような気分になる。
夜の闇は、人を落ち着かせてくれるものでもあるのだ。


これから日本はまた復興していく。
その時に、前と同じところに戻る必要はない。どうせ何年間かは電力に余裕はないのだ。夜の暗闇が街に戻ってきて、その暗闇と人とが共生できる街になるといいと思う。