金閣と銀閣と苔と人について

天神祭に行く前日に、京都の金閣寺銀閣寺をみた。


前に訪れたのは中学校の修学旅行の時だったように思うが、その時は銀閣寺のほうがいいな、と思った。実際に、この両方を訪れると銀閣寺のほうがいいという人の方が多いと聞く。今回も、また銀閣寺のほうがいいなと思った。


それが何故なんだろうと少し考えてみた。
絢爛豪華な金閣寺よりも、わび・さびを表現している銀閣寺のほうが通な感じがするから。
それもあるだろう。少なくとも中学生の時にはこれがほとんどだったと思う。


ただ、今回は少しだけ違う感覚があった。銀閣寺へ行く途中に乗ったタクシーの運転手さんに、銀閣寺の方が苔庭がすぐれていると言われたことが引っかかっていたのだと思う。銀閣寺は苔寺として有名な西芳寺などの庭園を設計した夢窓疎石の庭に習ってつくられているそうなのだ。

夢窓疎石

夢窓 疎石(むそう そせき、道号が夢窓、法諱が疎石、建治元年(1275年) - 観応2年/正平6年9月30日(1351年10月20日))は、鎌倉時代末から南北朝時代室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱、母は平政村(北条政村か?)の娘。
世界遺産に登録されている京都の西芳寺苔寺)および天龍寺のほか、多くの庭園の設計でも知られている。



そう、自分は「苔」に惹かれていたのだということに気づいた。
「苔」自体はそれだけで美しいと思うし、心が安らぐ。だが苔が地面を覆う状況になっているというのは、そこにそれだけ安定した生態系ができているということを意味している。その背景を含めて、苔に覆われた地面を見ると美しいと感じるのだと思う。


だがこの苔の自生にもパターンがある。
自然に自生している場合と、人が手を入れている場合とだ。


屋久島の白神雲水峡に行った時、山肌を覆う苔は本当に神秘的で美しかった。ちょうど今回訪れた中でも、法念寺というお寺の山門に生えていた苔は、人の手を介さずに自生していて、それが林の中の静かな寺とよく合っていた。


一方、銀閣寺の庭園の苔は人が手を入れている苔だ。

屋久島のような特殊な環境でもない限り、苔が山肌を覆うということはなかなか無い。十分な湿気がなければすぐに枯れてしまうだろうし、より生育力の強い雑草を放っておけば一気に地面を乗っ取られてしまう。
だから、この苔は人が手入れをして保っているのだ。
見ていると、職員の方が小さな熊手を使って苔の上に落ちた枯葉などを丁寧に掃除していた。こうした人達が、何年も、何十年、何百年かけて銀閣寺の苔を保ち続けてきたのだ。


建物だけをとりあげればどうだろう、銀閣寺の建物もそれほどすばらしいものだとは感じられなくなっていた。だがこの生きた庭、そしてそれを何百年も保ち続けている伝統が、この寺を素晴らしいものだと感じさせているのではないだろうか。


余談だが金閣寺も裏山は広大な苔の丘がある。苔の写真をもっと撮っておけばよかったのだが、この日は一眼のカメラの電池が切れてしまって、写真を余り頑張って取るモチベーションがなかった。もったいないことをした。


だが、金閣寺銀閣寺へ行かれる方はゆっくりと苔をみることをお勧めしたい。


これは天神祭に行ったときにも感じたことだが、京都大阪という悠久の伝統を持つ街の魅力は、荘厳な建築物や仏像にではなく、往時を思い起こさせる儀式、伝統、所作、そうしたところにあるのだと思った。
受け継がれる文化の美しさのようなものを感じられた気がした旅だった。