時間と空間(2)


空間について。



僕はわりと物欲が少ないほうだと思う。


そういう性格だからというのもあるが、
(部屋が狭いので)モノが増えると、自分の生活空間がその分狭くなるからだ。


これは「所有」することのリスクとも
言えるが、
モノが増えることは、空間が減るということと等価なのだ。


僕は何かを買おうかとする時に、
結構 真剣にこのことで悩む。(結果、なかなか買わなくなる。。)


僕にとって、空間は大事な資産なのだ。


そういわれてみると、時間よりも空間は直接的に価値として認められやすい。
「お金」に換算しやすい、と言ってもいいだろう。


「土地」は太古の昔から富の象徴である。
それは「土地」が家畜の農場になったり畑になったりと
直接的に食料(富)と結びついていたからだ。


だが、現代の人間が土地を求める理由は少し変わってきている。
少なくとも、放牧や農業のために土地を求める人は都会にはあまりいない。
みな、自分の居住環境のために土地を求める。


この居住環境は、空間をダイレクトに貨幣価値に置き換えている。


僕は今、マンションにすんでいるからそう思うのかもしれないが、
部屋の面積×天井の高さ、これ全部で部屋の値段が決まっている。


タテ×ヨコ×高さという3次元全てを含んだ、
空間を所有する権利がそのまま価値になっている。


この時間と空間の話は「人間が普遍的に感じる価値」という話なのだ
ミームというカテゴリだし)。
自分でも気づいていなかったのだけど。


時間と空間、ともにそれは「価値」だ。
この両者はとても似た性質の価値だ。
冒頭の「モノを買うと空間が減る」という考え方は、
「何か行動をすると時間を消費する」というようにも表現できる。


だが、空間は買うことができるが時間は直接的には買えない
という点で異なっている。


「価値」という側面からすれば、時間も空間も同じなのかもしれない。


時間は買えない。
これは、誰にとっても時間は同じように流れるために、
授受することができないからだ。


だが、空間もそこに存在するだけで授受などできない。
人間が勝手に線を引いて、権利を授受しているだけだ。


「線を引く」


これが一大発明なのだ。


時間だって、「時給」という形で売買されてはいる。


だが、直接的には買えない(ような気がする)。


時間に「線を引く」ことが発明されたら。
それこそ大革命だ。


人間が技術を進歩させ続けて、
人間が生きる時間はどんどん早くなってきている。


「時間が欲しい」


これがこれから一番の価値になっていくだろう。


自分を振り返ってみればそうだ。
大金持ちになって、もう生活のためには働く必要がまったく無くなる
というのにはすごく憧れる。


なぜかというと、「時間」ができるから。


働くという、
自分の時間を間接的に売ることをやめられるからだ。


人間が感じるゆとりは、
時間と空間的なスペースが十分にあること、だと思う
(過度なスペースは逆に苦痛をもたらすが)。


「時間」を直接的な価値に換算できたら。


まったく新しいビジネスになるかもしれない。