複雑な世界、単純な法則(3)


では、現実には何が起きているのか。


それには、このネットワークには
「強い絆」と「弱い絆」という2種類が存在していることを認識する必要がある。

家族や親友、同僚など、長い時間を共に過ごす人々の間の絆は、
「強い」絆と呼べるだろう。
「弱い」絆のほうは、たんなる知り合いを結んだものにすぎない。


このうち、世界を狭くしているのは弱い絆である。


その仮説を、説明していく論理がおもしろかったので
ここも要約してみると、
前回述べたように、友だちの友だちはたいてい直接の友だちだという事実がある。


今、人と人とのつながりを考えるのに、
大きな紙の上に、一人の人を点で表すことにする。
ある点(僕としよう)の周りには、その友だちの点が、またいくつか存在する。
ここで「絆」を線で表すことにすると、
僕と友だちを線で結べばよい。


こうやってモデルを作ってみると、
(友だちなどの)強い絆は、三角形の配置になる傾向がある。

人々の間強い絆は、ほぼどんな場合もこのようにして生じるはずで、
三角形のいっぺんが書けた状態はめったに見られない。

ここで、「六次の隔たり」の話に戻る。

なんらかの方法で、社会のネットワークから強い絆を一つ、
除去することができたとしよう。
このとき隔たりの次数にどのような影響が及ぶだろうか。

じつは、ほとんど何の影響も与えないのだ。
三角形の残っている辺づたいに移動すれば、
消えた傷なの一端から他の端まで、きっかり二段階で行くことができる。
つまり、ネットワークの「社会的距離」に大きな影響を与えることなく、
強い絆のどれでも取り除くことができるのである。


こう考えると(あくまで「六次の隔たり」という現象に関してだが)、
家族や友だちなどの、「強い絆」がそれほど重要でないことがわかる。

重要なリンクは、人々の間の弱い絆のほうであり、
特に彼が社会の「架け橋」と呼んだ絆なのである。


これはこの絵を見てもらえば、直感的にわかるだろう。


確かに、「そういえば、ああいう知り合いいるな」
程度のリンクが、世界の距離を一気に縮めるのだ。



この現象を考えてみると(以下は本の内容ではありません。妄想ですのでご注意を)、
Web2.0的な世界で、今なにが一番変わっているのか(かわりつつあるのか)、
というのが見えてくるような気がしている。


GreeMixi、OrcutといったSNSは、
まさにこの弱い絆の宝庫だ。


僕はGreeユーザーなのでそれでいうと、
Greeの「友だち管理」という主テーマの機能は自分のためではなく、
他人のためにある。


つまり友だちの知り合い、知り合いの知り合いを見つけやすくなっているのだ。
そのリンクは、元から存在していたものではあったが、
直接 聞き出さない限りは、その存在に気づけないリンクだったのだ。
それが、Greeを使うことでその存在に気づける。

つまり、SNSというサービスは、
人の頭の中にしかなかった「友人関係」という暗黙知を、
形式知に変換してくれるツールであるといえる。


(※ちなみに、知らなかったのだが
Gree はこの「六次の隔たり」をコンセプトにつくられたものだそうです。
Six Degreeなんですね。。
さすがに先端を行っている企業だ。)


さらには、2次、3次先の人とも、
(了解さえ得られれば)直接リンクを結んで1次のつながりにできる。


SNS以外にも、今のWeb社会によって
これまで気づけなかったリンク、これまで存在しなかったリンクが
今、ものすごい勢いで増えている。



複雑系のカギは、カオスと秩序のはざまである。
それまで秩序だっていた世界(動きが無かった世界)に
多様性が爆発的に増加し、無秩序(カオス)がうまれる。


秩序を0として、完全なカオスを1として、
秩序がじょじょに多様性、不規則性を持ち1に近づいていく。
その値がある点に達した時(カオスの縁)、
自己組織化が始まるのだ。


これが、カンブリア紀などに生物大進化が起きたことに与えられている説明だ。


今、世界中でこのリンクが増え、多様性を増している。
あとは、その数が、無秩序性がある域まで到達した時に大進化が起きる。
それは、複雑系の科学からすると、必然なように思えてならない。