ライフログ


佐々木俊尚さんのグーグルを読んだ。

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する  文春新書 (501)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

待ち合わせの空き時間の2時間くらいで一気に読み切れてしまった。
たぶん知っていることも多かったし、
興味のあることも多かったから、すんなり頭に入ったのだろう。
前に速読の練習をしてた頃を思い出した。


内容に関する感想は、すでにいろいろな議論がされているので
ちょっとマニアックに自分に残ったところを。
本論とは、ちょっと違う部分。


「第6章 ネット社会に出現した巨大な権力」
の中で、「ライフログ」について触れられている。


ライフログとは、ある人の体験をすべてデジタルデータにして
ハードディスクに蓄積するというもの。
人間の人格は、外部環境によって形作られるものならば
ある人の体験を完全に再現すれば同じ人格が生まれるのでは?
的な話だ。


18歳の僕が、この思考実験にかなり魅せられたテーマだ。


実際、「グーグル」の中で取り上げられている
美崎薫さんという方のライフログプロジェクトは非常に興味深い。

スマートカレンダーは過去の日々をカレンダーのように見ることができるソフトで、
過去の特定の日付をクリックすると、
その日に撮影した写真や読んだ本の画像イメージ、出会った人の名刺、
顔写真などが次々と猛スピードで、パソコンの画面に展開されていく。
それはまるで走馬灯を見ているような、あるいは古びた幻灯を眺めているような不思議な経験だ。


Picasaのような感じなのだろうか。

「過去の記憶と記憶が結びつき、思いもよらなかった『気づき』が起きるときがある」
(中略)
過去の経験を何度も繰り返し振り返ってみていると、
過去から現在、未来へと続く時間の流れが解体され、時間感覚が消滅していくような
不思議な感覚に入っていくのだという。


ブログを書いていて、1年前に書いた文章を読んだ時に
これに似た不思議な感覚を覚えた経験がある。


ライフログでは、ある種のハイな状況が得られるのだろうか。
まったくの推測だが、そんな気がするし、ちょっと感じてみたい。


でも、この本を読んで気になったのは
ライフログの有効性ではなくって、それをネットに保存するようにするということ。

そしてこれらのライフログが、全てインターネット上で
グーグルによってデータベース化されていけば、どうなるのだろう。


ここに強く惹きつけられた。


この本の中では、それはややネガティブな事態として描かれているが、
ライフログを取りやすくするようなツールがあれば、
それは共有されていくようになるのが、今の時代の流れだと思う。


体験を共有する。


これが、一つの進化かもしれない
(生物学的に進化に良い悪いという判断はない。
現在と違う状態になれば、それは進化であるという前提での話。)


そもそも本というものも、体験の共有だ。
本の起源はちょっと分からないが、初期の本の役目は歴史書や聖書などだと思う。


つまり、伝承。
誰かが体験した事象を(真実かどうかは別として)、
口述で伝えて聞いた人がそれを疑似体験する。


そしてまたそれを広めていく。


口述が本になることで、伝播のスピードが広まる。
伝説、歴史、宗教書以外であっても、どんな本であっても
本を読むということは、書き手の意思を疑似体験するというプロセスなのだ。


本の次は、ラジオ。テレビ。ときた。


そして次は、インターネットを使ったものになってきた。
インターネットとこれまでの媒体との違いは、
本質的にはその伝播範囲の広さではないだろうか。


本当に世界中の誰でもの体験を疑似体験できるようになったら。


もう日本人であろうと、アフリカ人であろうと、イギリス人であろうと
そういった境界があいまいになっていくのかもしれない。
その世界にはまってしまえば、
本当に「個」としてのアイデンティティを見失ってしまいそうだ。


何億もの人間が一つの共意識になってしまうような、そんな気がする。



これを読んで、「そんなのSFの世界だ」と思われるかもしれない。


だが、今のWeb2.0的な世界は、間違いなく「体験を共有する」という方向に動いている。


ブログなんて、ライフログのようなものだ。
その人のある「意識」を疑似体験するのだから。


ぼくは「はてなブックマーク」ユーザーだが、これだってインターネット体験の共有だ。
例えば梅田望夫さんと興味を持った同じHPをみることで、
今日の梅田さんのウェブサーフィンを疑似体験できるのだ。




この「体験の共有」は、決してWeb2.0特有の性質ではない。
上にも書いたように、「本を読む」というのがそもそも体験、知識の共有だ。


「教育」も、やはり共有。
学校で、みんなが同じやり方で勉強をする、ってまさに疑似体験。
先人の知恵、知識、学問、科学というものを身につけるには、
脳に同じ思考回路をつくるには、疑似体験が必要なのだ。


そうやって考えていくと、人と人とのコミュニケーションって
「疑似体験」がほとんどではなかろうか。


友人と話すことって、
「最近こんなことがあった」とか「こんな状況なんだけどどう思う?」
とか。すべて疑似体験というプロセスがある。



なぜすべて「共有」というプロセスを経るのか。


それは、人の意思をミームだととらえれば説明がつく。


ミームは、自己増殖を目的とした情報の単位だ。
「疑似体験」は、ミームが自分をコピーするためのプロセスだと考えられる。


これはミームという見方をした場合の、一つの本質だと思う。