ハイ・コンセプト(1)


読んじゃった。

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

349ページ。
3日間くらいかな、実質。
読みながら付箋を貼ったのが、45箇所。


読んでる途中はそうでもないかなーと思ってたけど、
結構 はまったのかな。
(ちなみに付箋を貼るようになったので、こういうデータを取れることに気づいた。
本の印象を、定量的に表せるともいえるかも。
(ちなみに「ミームマシンとしての私(上)」の場合、
237ページで40箇所。ジャンルも、読み方も違うけど、こういう比較ができると面白いかも。)


というか、付箋を張った箇所をデジタルで抜き出せるようにしたいな。
携帯型付箋スキャナみたいなのがあれば、案外使えるかも。余談ながら。)



ハイ・コンセプトの書評に戻ると、
この本は「新しい産業」とかの話ではなくって、「新しいデキル人」になるには、というのが趣旨。


モノが豊かになることで人間は幸せを求めるようになり、
右脳型社会になって、消費者も新しい市場に流れるのだが、
本書は消費者がどう流れるかというのではなくって、各人がどう自分を成長させていくべきか
という方にやや重きが置かれている。


まぁ、副題"富を約束する「6つの感性」の磨き方"というのからするとそうなのですが。


45箇所の付箋のうちいくつかを抜粋

豊かな時代では、合理的、論理的、そして機能的な必要に訴えるだけではとうてい利益は上げられない。

そんな時代において、自分のキャリアを考える上で有用な問い。

①他の国なら、これをもっと安くやれるだろうか
②コンピュータなら、これをもっとうまく、早くやれるだろうか
③自分が提供しているものは、この豊かな時代の中でも需要があるだろうか

うーむ。。。
これは自分の将来を考えるのに、いい足がかりの一つになります。


現在の世の中を考える上でのキーポイントは

  • 豊かさ
  • アジア
  • オートメーション

これらが、ライバルである。


その時代に生きていく上で、

ハイ・コンセプトでハイ・タッチな「六つのセンス」こそが、新しい時代に必要不可欠な感性だ

という。
6つのセンスとは、

  • デザイン
  • 物語
  • 調和
  • 共感
  • 遊び
  • 生きがい


である。


※なお、言葉の定義としては

ハイ・コンセプトとは、
芸術的・感情的な美を創造する能力、
パターンやチャンスを見出す能力、
相手を満足させる話ができる能力、
見たところ関連性の無いアイデアを組み合わせて斬新な新しいものを生み出す能力
などである。

ハイ・タッチとは、
他人と共感する能力、
人間関係の機微を感じ取れる能力、
自分自身の中に喜びを見出し、他人にもその手助けをしてやれる能力、
ありふれた日常生活の向こうに目的と意義を追求できる能力、
などである。

ふむ。



以下、各能力の身につけ方が、とても具体的に書かれている。


総括しようと思っていたが、
付箋をたどって読み返してみると面白いことがたくさん書いてあるので、もう少し抜粋を続ける。


まずデザインについて。

デザインとはビジネスであり、ビジネスとはデザインである。

ということで、機能としては申し分ない商品が安くつくれるようになった豊かな時代には、
デザインが他社との差別化の切り札となっている。


この辺は非常に実感できる。
そして、それが何故だろうという疑問に対して、言い得て妙だったのはこのくだり。

「地味なトースター」について、じっくりと考えていただきたい。
普通の人が、一日にトースターを使う時間はせいぜい一五分である。
残りの一四二五分間、トースターは飾られているだけなのだ。
言い換えれば、トースターにとって一日の一%が「実用性」を発揮する時間で、
九九%は「有意性」を示すための時間である。
それなら見た目が美しい方がよいのではないだろうか。

これは、本質を捉えているなぁ、と感心した。
僕自身の「モノ」への見方が少し変わった気がする。


さて、1つめの「デザイン」についてだけでこんなに長くなってしまったので、
今日は6つの感性のうちの1つ目だけでやめておこう。


最後に「デザイン」の節の中で、「ミーム」という僕のフィルタに強く引っかかったこと。

ビジネスにおいてデザインが重要になってきているが、
大事なのはアイデアそのものではなくて、
それがどれほど広く普及しているかである。


本文からは、何故そうなのかがイマイチ読み切れなかったのだが、
これには2つ理由があるように思う。


1つは、デザインが、組織だったりの複数の人間の間での「意識の共有」スピードの手助けをしてくれること。
というのは、こんな例が本文中に挙げられているから。

アメリカ国務省は、長年使用してきたカーリア・ニュー12の書体の使用をやめ、
新たにタイムズ・ニュー・ロマン14を標準の書体として全ての書類で使用すると発表した。
変更理由は「鮮明で引き締まった文字であり、より現代的に見える」から。
だが、変更そのもの以上に驚くべきことは、国務省内の全ての人が、
そのメモの意味を理解できたということ。(要約)

思考の標準化というか、右脳的な規律というか。
同じデザイン(この場合はフォント)を使うことで、
組織内の人間に対して、おそらく発している側も言語化できないメッセージを伝えることができる。
制服だったり、標識だったりが、そんな意味を持っているように。
デザインが、組織運営のための有用なツールになるということが、はっきりと認識されつつあるということかなと。


もう1つ思うのは、消費者がモノを買うという判断にデザインが与える影響。
大部分の人間は慣れた状況にとどまりたがるという性質に対して、
広く普及したデザインや、そのデザインに関連するようなデザインはまた、選ばれる可能性が高いであろうということ。


人間はシンボルを解釈することができる。
秋葉系の人たちが美少女アニメを見て萌えている状態って、よく考えるとものすごいことじゃないかと思うのだ。
シンボルを、性衝動という本能的な反応にまで結び付けているのだから。
人間のシンボル解釈という機能をビジネスに利用するための時代なのだ、これからは。
(これは次の「物語」にも言えることだけど。)



ミームという観点でこの節を見てみると、
「広く普及したデザイン」を
「生き残りやすいミーム」というように捉えると、その挙動がよく説明できる。


まだミームのことが、自分自身で解釈し切れていないので、
どうも結論づけられないのだが、「デザインも広く普及することが重要である」というのはミーム学へのよいモチベーションになった。


遺伝子は人の身体を駆動さて、
ミームは人の脳(心)を駆動させるのだ。これも、これからの時代、重要になっていくだろうとやはり思うのだ。