ハイ・コンセプト(6)

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

次は「遊び」。
ヘンリー・フォードの流れ作業に象徴される
近代型の仕事術は、冷静で、まじめであること。
ヘンリー・フォード曰く、

「働くときは働き、遊ぶときは遊ぶべきだ。
だがこれらの二つを合わせるのは無用なことだ。」

日本的、ともいえる。


だが最近、流れは変わってきたようだ。

遊びの逆は仕事ではない。抑鬱だ。
遊びとは、自分の見通しが確実であると信じているかのように行動で表現し、
意思を強く持ち、それに打ち込むことである。

これはうちの社長の言っていることだなぁ。
これを実際の仕事で体現するのは、なかなか難しい。
現実問題、誰でもすぐにできるというものではないように思う。



さらにより、エンターテイメント的な「遊び」にもフォーカスがあたり始めている。
たとえば、アメリカ陸軍が軍事訓練のオンラインゲームを配布したり、
テレビゲームの、人間の情報処理能力への効用がネイチャーに発表されたり。


たしかに僕の友だちのゲーマ(かなりディープ)は、とてもクリエイティブな人だ。
相当なヲタでもあるので、一つの分野に特化した結果のクリエイティブさなのか、
好奇心旺盛なゲーマーのもつクリエイティブさなのかは分からないが、
ゲーマ的な雰囲気を感じるクリエイティブさなのだ。



僕が夢を持ってしまうのは、こういう考え方。

二一世紀における「遊び」は、三世紀にわたって続いてきた産業社会における
「労働」と同じ意味を持つだろう
−知り、行動し、価値を作りだすための中心手段なのである。

「労働」の価値観が、徐々に変わり始めている。
この本の主題でもあるように、定められたことを真面目にやる、
という仕事は、無限ともいえる労働力に置き換えられ始めている。
その代替として、この豊かな世界での労働は、趣を変えていくのではないだろうか。



それがゲーム・(既存の)エンターテイメントに直結するのか分からないが、
「労働」のインターフェースをゲームにすることができたら、と前から思っている。


参加者はゲームをしているつもりなのだが、
そのアウトプットが「労働」になっているという仕組み。
そんなものがつくれたらなぁと。

ゲームをやっている時、人間の脳はかなりアクティブに反応している。
エネルギーもかなり使っている。
それだけの「脳」リソースが、ゲームセンターだったりインターネットの前に不特定多数無限大あるのだ。


これを活かすやり方を考えている。
Amazon の MechanicalTurkey は、一つの骨組みだと思っている。