技術(テクノロジー)とは

今日面白かったのはこのエントリー。
ハイテクの日本がエンジニアを枯渇させている - GoTheDistance


日本の理系離れと人口減少による産業の空洞化や、それを補填するための将来的な外国技術者の受け入れが、そううまくは行かないだろうという分析。また、結果的に技術職が外国(インドとか)にアウトソーシングされていく可能性などの NewYorkTimes 分析はとても現実的な話だなと。
そういう時代に、自分が生きていくためには、わりと切実な問題。漫然と仕事をしていれば、それこそ茹で蛙だろうし、移り変わりの激しい技術の何に自分の時間を投資するのか、IT技術というものに自分の付加価値を見いだせるのか、など色々悩むところ。さらには日本の年功序列や戦略的に生きる必要があると思いました。


で、どうやっていこう、といつも考えてます。
ただ、それとは別に今日思ったのは、SIerってなんでこうも不人気なのか。自分は今はめっちゃ恵まれた環境にいるなぁと思うのだけど、SIの仕事もやってるといえばやってるので、それについては色々思うこともあり。SIという仕事の問題は何なのかということへの、自分なりの結論はこんな感じ。


理系の仕事、ものづくりの仕事のイメージ = クリエイティブ
→ では、SIerはなぜに違う?(と感じることが多い?)
→ SIって(究極的には)予め決められた仕事の手順をITに置き換えてるだけだからでは?
この辺が、つまんないと感じる人が多い一つの理由かなと。


そういえば、先日 会社でソフトウェア特許について講義を受けさせてくれたのだけど、ソフトウェア特許と認められる審査の評価基準は、

  • データの処理の仕方は評価される
  • データの中身の特徴は評価されない
  • 技術的側面(処理の仕方)が評価される
  • 商業的側面は二次的評価

と言っていた。ソフトウェア特許賛成/反対の話は置いておいて、ここで感じたのはソフトウェアの技術的な価値がどこに置かれているかということ。講師の弁理士さんも言ってたのだけど、ソフトウェアはその機能を挙げると、それは「何らかの手順」になってしまって、技術的な価値が見いだせなくなってしまう。「技術」として評価されるのは、あくまで処理をどうやっているかということ。(まぁ、それでもその評価というのも十ニ分に曖昧だけど。)なんか分かったような分からないような。


さりとて「上流」に行って、手順を決めるという仕事もそれはそれで何か違う。この辺の違いは、先日、小飼弾さんが書いていた
404 Blog Not Found:プログラミングとアプリ開発の違い
と同じようなことなのかなぁと思う。



にしても、技術ってなんかボンヤリしてよくわからないなーと思うのだけど、ふと「技術」をWikiPediaで調べてみて合点がいったことがある。それは、技術のページにあった「テクノロジー」についての解説。

サイエンス(Science)とは、自然界の現象を探求する公式な方法のことであり、サイエンスにより世界についての情報と知識を得る。一方、エンジニアリング(Engineering)とは、産業革命時代のイギリスでのエンジンに由来し、当時は蒸気機関をさした。蒸気機関を製作・操作・修繕維持改良する人をエンジニアと呼ぶようになった。

この産業革命のころの表現で言うエンジニアリングで考えると、engineering とは機械(IT)を使いこなすこと、と考えると色々と腑に落ちるようになった。(べつにそれが悪いというわけではなく)Engineerを究めるというのは、技師を究めるということなんだなと。病院とかで難しい医療機器の操作を究めている専門職の人達がいるけど、ああいう感じ。それは絶対に必要で、職人的な人はとてもクリエイティブで、発明をしてったりもするのだけど、操る機械が進化していったり、マニュアル通りにやればベテランじゃなくてもできるという点で、医者よりも収入や社会的なステータスとかは低い。プログラマーも、今の日本だとこんな感じな気がする。すごい人はホントにすごいけど、社会的にはまだまだ評価されてないという点でも。


で、現代のエンジニアの要件

現在の意味は、自然界の現象を現実的な人間の手段として利用するため、道具(ツール)や体系(システム)をつくる(設計(デザイン)・構築(ビルド)する)という目標(ゴール)あり、そのなかでの「設計や構築の方法」をエンジニアリングという。そしてテクノロジーは、このサイエンスおよびエンジニアリングという2つの方法に、社会の要請があって生み出されたものをいう。一般的にはテクノロジーといえば、(サイエンスの結果はどうあれ)「エンジニアリングによって生み出された(結果の)もの」をさす名称として用いられることが多い。現代ではエンジニアとは、自然法と社会の必要性の制限の中でテクノロジーを創り出す人のことをいう。

「自然法と社会の必要性の制限の中でテクノロジーを創り出す人」は、エンジニアリングも、サイエンスもできる人のことなんだなと。ソフトウェアでいうサイエンスって何かというと、やっぱり一番大きいのは人間に対する科学ということになる。ユーザーエクスペリエンスというのも、人間に対する科学なのだから、ユーザーエクスペリエンスが優れたソフトウェアが評価されることも納得。なんにせよ、「自然法と社会の必要性の制限」というところで、今のIT業界は、「社会の必要性」に傾きすぎてるんだなと思う。もっと自然法(科学)が入るべき。それが、ソフトウェアが理系の学科として存在している意味なんだと思う。


ハイテクの日本がエンジニアを枯渇させている - GoTheDistance

これからの時代ますます物理的なモノが売れなくなっていく時代に勝負となるのは、企画やデザインでありITによる仕組みの確立のはずだと考えています。

企画やデザイン、仕組みというのをつくり出すもとはサイエンスなのかなと。というか、世間的にも、すっかりおざなりにされている「科学」ということに、もっと眼を向けていくべきなのかなと。自分への反省と希望をこめて、そう思った。