天神祭にいってきた(1)

先日、知人のご縁で夫婦で大阪の天神祭に行ってきた。


大阪の天神祭は、祇園祭神田祭とならんで日本三大祭にあげられている大きな祭りだ。
天神(よく見るとすごい偉い名前だ)、菅原道真の命日である7月25日を本宮、
その前日を宵宮と呼び、各種行事が執り行われる。
25日の本宮には船渡御という、お神輿を船に乗せて大川を上り下りし、
たくさんの船がそのお供をするという珍しい行事がある。
船渡御の際には大川沿いに花火が上がって大変風情があるとのことである。
この船渡御の船には大阪の人もなかなか乗れないとのことなのだが、
今回ご縁があって船渡御の船に乗せていただけるということになり、
夫婦喜んで参上した次第だ。

本宮祭


天神祭の歴史は古い。Wikipediaで歴史を調べてみるとこのように書いてある。
天神祭

天神祭大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。

天神祭は続いてきたが、日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からである。安土桃山時代豊臣秀吉より催太鼓を拝領する。寛永末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやめられる。このころ陸渡御の起源となる地車が登場する。慶安2年にでたお触書によると、多くの地車が争って宮入しようとするため順番を決めさせたとある。寛文末期に御旅所が戎島に移転。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになる。この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中に見ることが出来る。

僕は関東で育ったので全く知らなかったが、由緒正しいたいへん大きなお祭りなのだ。
船渡御が行われるのは花火の上がる時間帯なので、夕方からなのだが昼から本宮祭という神事に参加できるとのことだったので、昼に大阪天満宮に行った。
大阪天満宮の周りには屋台がたくさん出ており、平日(月曜日)の午後だったが、すでに沢山の人がいた。子供たちはもう夏休みに入っているのかもしれない。タクシーの運転手などからは例年に比べると今年は涼しいと言われてはいたものの、この日は真夏の強い日差しが照りつけていた。祭りが始まるの前の静かな活気
とあいまって、天満宮周辺はすでに熱気を帯びていた。


境内には「講」と呼ばれる祭りを支える団体の、それぞれのご神体を祀っているような待合所がいくつもつくられていた。何々衆、みたいな感じであろうか。またWikiPediaをみてみる。

元々講とは同じ志を持った集団であり、天神祭に奉仕するために、商人の町であった特徴上、米問屋や八百屋など各同業団体などで集まってできた」そうだ。「天神祭で渡御列でご神体をお乗せする御鳳輦講(ごほうれんこう)、鳳神輿の菅南連合鳳神輿講、玉神輿の中央市場玉神輿講、だんじり囃子の地車講(ぢぐるまこう)、獅子舞の天神講、牛曳童児の福梅講、米穀商の御錦蓋講(おきんがいこう)、御神酒講、花商組合の榊講、船渡御の船を世話する御船講(おふねこう)、どんどこ船のどんどこ船講、出版業界の御文庫講、丑日講、天神橋商店街の御羽車講(おはぐるまこう)

などがあって楽しい。

今回僕達がお世話になったのは、祭りに奉納される榊(さかき)を奉納する榊講。おもにお花屋さんの皆さんで運営をされているらしい。非常に分かりやすい。


ここで今回ご招待を頂いた方にお会いしてご挨拶などをしているうちに、本宮祭が始まるとのことで大阪天満宮の神殿の中に上がった。神殿は凸型をしていて広い。御能の舞台に使われたりすることもあるそうだ。ご神体と離れた端にパイプ椅子が並べられて、こちらに座る。奥の方にご神体があるようだが、僕は凸型でいうと右下の部分に座っていたので、奥の方は見えなかった。
そのうち祝詞などが唱えられ始め、本宮祭が始まった。それぞれの講で榊を奉納しているらしく、講の代表者が呼ばれ、神主さんへ奉納する。そして二礼二拍手一礼。その際に講の関係者はその場で立ち上がって二礼二拍手一礼をする。僕も見よう見まねでやってみた。

神霊移御

こうして本宮祭が終わると次は神霊移御。字で書くとなかなか物々しい雰囲気がただよってくるが、日頃神殿の奥に鎮座しているご神霊が、これから祭りで町を練り歩くためにお神輿へ移動するという儀式だ。
まずお供え物をする。お神酒や椀にもられたご飯などが捧げられていたようだった。腹が減っては戦ができぬということなのか、ちょっと不謹慎なことをいえば食べ物で神様を呼んでいるかのような儀式が執り行われる。雅楽の演奏などが続く中、いよいよ移御するときがきた。


神殿の外にはすでに神輿が横付けされている。神殿と神輿の間の1,2メートルくらいの隙間には、周りから見えないように白い布で衝立がされている。さすが超VIPの待遇である。神様が移動されるときには、神殿の中にいる僕達も頭を下げなくてはいけない。つまりは神主さん以外は何人たりとも見ることはできないようになっているのだ。
雅楽の中で、10人くらいいる神主さん達が「あー」「あー」と長い唸り声を次々に上げる。お経のように各人が息継ぎをするタイミングをずらして、声全体は途切れることなく神殿内に響き渡る。
声が徐々に神殿の奥からこちらへ近づいてくる。
なんだか御神霊が移動している感じがあった。
昔の人はもっとリアルにご神霊を感じたのではないだろうか。儀式の威力を感じる。
僕達を招待して下さった方は何度かこの神事に参加しているが、毎回ご神霊が収まっている扉が開いた時に冷気を感じて鳥肌が立つそうだ。女性の方なので、僕よりも霊感などが強いのだろうか。


つづく