天神祭にいってきた(4)

宮入り・還御祭

船から降り、もう一度大阪天満宮へ。陸渡御を終えた各行列がお宮入りをするのをみにいった。
昼からずっと祭りを見ていたので足が棒のようになっていたが、ここでまたそれぞれの講が帰ってくるのをみた。昼に出ていったものが順番に帰ってきているのだから、それはまた絢爛豪華なものがたくさんフルコースでかえってくる。
またみんな宮入りをしてしまうと祭りが終わってしまうから、かなり時間をかけて宮入りをする。同じところで何回もぐるぐるまわって、なかなか入らない。これは足が棒になっている立場からするとなかなか厳しいものであった。妻は途中でダウンし、境内の裏で座って休むことになった。しかしやっている方はもっと大変だろう。昼からずっと踊ったりしつづけているのだから。それでもこの祭りがほんとうに楽しいのだろう。宮入りは時間をかけて行われ続ける。


クライマックスはやはりお神輿だ。
このお神輿は本当に重そうで、もっている若い衆たちの顔に苦痛と疲労が色濃く出ている。僕は一回だけお神輿を担いだことがあるが、あれは本当に肩が痛く、つらいものだった。だからこの若い衆たちの大変そうな顔をみると同情してしまうが、それと同時に彼らは大変な活力で楽しそうにやっているので少し羨ましく見ていた。


天神祭には2つのお神輿が出ている。
玉神輿と鳳神輿だ。2つの神輿が出ると、当然ライバル関係になるだろう。東京の神輿だと喧嘩神輿ということになりそうだが、ここではそういうことはしておらず、ただ宮入りの威勢の良さというところでは張り合っていたと思う。今回は片一方(たしか玉神輿だったと思う)が圧勝していた。まだやるのか、と思わず笑ってしまうくらい何度も境内を周り、重さ2トンのお神輿を腕を伸ばした状態で持ち上げたりと相当な力を見せつけていた。いやはや天晴です。


この宮入りを観ている時にそこにいた天神祭フリークのお兄さんいわく、大阪天満宮には道真公と共に野見宿禰と田力の尊がまつられているとのこと。どこかで聞いたことのある名前だなーと思ってしまう神話の登場人物と、こういうところで時間を超えて触れ合えるのが、祭りという儀式がなせることなのだろう。
歴史が古いだけ合って天神祭は江戸時代の日本というよりは奈良、平安やそれ以前の日本の風景を感じた。催太鼓の衣装は沖縄などでみるようなものだし、地車講のお囃子はバリで聞きそうなリズムだ。
松岡正剛さんが奈良ジア(奈良+アジア)ということをいっていたが、奈良時代平城京シルクロードの最終到達地点ということで、ユーラシア大陸を渡ってきた文化が最後に到着するところであったという。関西にはこういう文化が未だに継承されているのだろう。
東京で生まれ育った僕はやはり「江戸」文化にそまっているのだということに気づいた。関東一体は鎌倉時代頃までは主要な文化はなかったので、いま歴史を感じられるものというと、鎌倉時代以降のものにならざるを得ないのだ。
その点ずっと日本の中心だった関西の懐深い歴史を、今に生きる祭りという形で感じることができた、大変貴重な経験だった。お呼び頂いた方には本当に感謝の限りです。


11時ころに大阪天満宮を出ると、あたりの道路は広範囲で歩行者天国になっており、屋台はまだまだ立ち並び、若者が街を埋め尽くしていた。大阪のあふれる活力を横目に、僕達夫婦は遊び疲れて宿へと帰ったのでした。