Webと手作業

オンラインゲームの中国人労働者の記事を読んで、
オンラインゲームを見張る単純作業を行う中国人労働者がいる、
という事実を知って、ちょっと衝撃を受けた。


オンラインゲームがここまできたか、
というのも、もちろんある。
オンラインゲームの世界が、現実の世界としてパラレルに存在しているという
現象にもとても興味がある。
ただ、それについてはまたの機会に考えよう。


今日は、もう1つ驚いたこと。というか、気づいたこと。



少し前だが、この記事を読んだ時にも、かなり衝撃を受けた。


Amazonと機械仕掛けのトルコ人(前編)

アプリケーション開発という機械作業の中に、
「生の人間」を組み込んでしまおうというアイデア


が洗練されているのがWeb2.0の本質であるというような話。


このことが、結構気になっていたのだ。
これから(もう十分すすんでいるが)のWebの方向性として、
人とシステムのいいとこどりは未開の分野でもある。



何か面白いことができるだろうなぁ、と考えているのだが
今日の日経新聞の文化面に、Webではないが興味深い記事が。


篠田節子さんが書いている、「老いと手仕事」。


新聞にはリンクが貼れないので、印象に残った部分を抜粋。

体力も技能も集中力も根性もいらないが、
とにかく時間だけはかかるという手仕事というのが、身辺には数多くある。
昭和三十年生まれの私が子供の頃は、そうした手仕事を担う人間が確かにいた。
子供のほかには、女の年寄りがそんな作業に携わった。

ハッピーリタイアして創造的活動や旅行、その他趣味に生きられるのは、健康で勝ち組に回った「ヤングオールド」の特権だ。

現役を引退し、体力、知力ともに衰えた後も、人は生き続けなければならない。

残酷なことには、ケアされ生きられる状態にあっても、人は必要とされる何かをしたがるし、できないと体と心のバランスを崩す。

幸い、日常生活の中には、創造的ではないが、体力も集中力も必要なく、間違えたところでさほど痛くは無い手仕事が山ほどある。
それを再配分することはできないだろうか。


特に、最後の一節。


確かに、「手仕事」というのは
(健康面からしても)大事だとは思う。
だが、Googleが模範を示したように、
「富の再配分」というのはWebがもつ大きな特長だ。


オンラインゲームを見張る、
というのは老人にはちょっと厳しいかもしれない。
でも、きっと何かあると思う。


ちょうど僕がここ一週間ほど考えているサービスは
「読み上げ」
だ。


最近、ポッドキャスティングから得る情報量が日に日に増すにつれ、
「耳から情報を得る」便利さにすっかりはまってしまった。
日常の仕事がプログラミングだったり仕様書作成だったりと、
文字を見すぎている場合、耳からの情報は気分転換にもなるのだ。


そこで、ブログの読み上げサービスがほしいなぁ、と思っているのだ。


読み上げのフリーソフトがあるということを教わったが、
おそらく、無機質な声で読まれてもあまり頭に入らない。


やはり文節を理解しながら「人間」に読んでもらいたいのだ。
と、考えたところでハッと気づいた。


Amazon が始めたのも、
システムにやらせようとすると大変な研究テーマになってしまうが人間がやるととても簡単なこと
なのだ。


読み上げ、
まさにそうではないかなぁと。


老人の方々でなくてもいい。
インターネットにつなげて、PCにマイクがあれば誰でもできる仕事なのだ。


こういう仕事って、考えていけば結構あると思う。


老人の方々にやってもらえるものが思いつけば、実現できれば一番いいのだが。



ただ、日本のこういった分野で使えるであろう労働力は潤沢だ。
しかも、それは単純労働にとどまらないのだ。


これは学生時代から理系の出身として体感として思っていることだが、
「四大を卒業したけど、今は主婦です。働きに行きたいけど、子供が。。」
とか
「大学院で化学の修士号持ってるけど、今は主婦です。」
「博士号持ってるけど、今は主婦です。」
とかとか。


単純作業なんかではなく、
世界的に高水準な、いわゆるホワイトカラー的な労働力が潤沢なのだ。


Web2.0的な今の時代は、
日本のこのあたりのポテンシャル労働力をうまく使えるチャンスなのかもしれない。


うーむ。