モモ


今の時代にこそ、大人が読むべき一冊。

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

時間管理が永遠のテーマである僕は、
これまで時間に関する考察をこれまでにいくつか書いていたのだが、
そういう文章を読んでくれた友人に「モモ、読んでみたら?」
と薦められたので、読んでみた。


嗚呼。
本当に読んでる途中で、声が出そうになった。
自分はいつのまにやら時間貯蓄銀行に時間を預けていて、
あまつさえ、灰色の行員になろうとすらしていたのかもしれない、と。


時間貯蓄銀行の行員が有料顧客とするのは、

「おれの人生はこうしてすぎていくのか。」
フージー氏は考えました。
「はさみとおしゃべりと、せっけんとあわの人生だ。
おれはいったい生きてなんになった?
死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、
人にわすれられてしまうんだ。」

なんてことを考えはじめた人。
別段、仕事にも日頃の生活にも問題を抱えているわけでもないのだけど

けれどもそんなフージー氏にも、なにもかもがつまらなく思えるときがあります。
そういうことは、だれにでもあるものです。

もっと違う選択をしていたら、
もっとちゃんとした暮らしをしていたら、とフージー氏は考える。

でも、このちゃんとしたくらしというのがどういうものかは、
フージー氏にははっきりしていませんでした。
なんとなくりっぱそうな生活、ぜいたくな生活、
たとえば週刊誌にのっているようなしゃれた生活、
そういうものをばくぜんと思いえがいていたにすぎません。

こういう時に人が言い訳とする文句も一緒だ。

そんなくらしをするには、おれの仕事じゃ時間のゆとりがなさすぎる。
ちゃんとしたくらしは、ひまのある人間じゃなきゃできないんだ。
自由がないとな。


うーむ、まるでフージー氏の気持ちが痛いほどよく分かる。
日々、生産性!とか Lifehacks! とかに興味がいってしまう根本原因は
こういう普遍的な、「今と違う空想上の生活に対する漠然としたあこがれ」からくるのかな。
そして、「そういうことは、だれにでもあるもの」なのかな。



そこに颯爽と現れる時間貯蓄銀行からきた灰色の紳士は、
小気味良いほど優秀な分析屋だ。


かれはフージー氏の一生の時間が何秒なのかを、あっという間に計算する。

「けっこう。ではすくなめに七十歳までとして計算してみましょう。
つまり三億一千五百三十六万の七倍ですな。
答えは、二十二億七百五十二万秒。」
灰色の紳士はこの数を鏡に大きく書きました。


2,207,520,000秒


そしてその下になん本も下線をひいてから言いました。
「これがつまり、フージーさん、あなたがお持ちの財産です。」

そこから息もつかせぬ勢いで、
灰色の紳士はフージー氏の「むだな」時間を計算していく。

睡眠 441,504,000 秒
仕事 441,504,000 〃
食事 110,376,000 〃
母 55,188,000 〃
セキセイインコ 13,797,000 〃
買い物ほか 55,188,000 〃
友人、合唱ほか 165,564,000 〃
秘密 27,594,000 〃
窓 13,797,000 〃

                                                            • -

合計 1,324,512,000 秒


この「むだな」時間を、一日2時間ずつ倹約していきましょう。
それを時間貯蓄銀行に預けていきましょう。
そうすれば、何年後かには莫大な時間が資産として残りますよ・・・。


というのが時間貯蓄銀行のセールストーク。
大人は皆、この甘言にのせられて倹約を始める。
だが大人たちは、この「むだな」時間は、
実は生活に「うるおい」を与えてくれていたのだということに気づいていなかった・・・。
というように話は進む。



これを読んで考えさせられることは、
やはり、自分も時間を倹約することで、
生活からの「潤い」を失っているのではないかということ。
「むだなこと」に使う時間を極力減らそう減らそうとして、
結局それで浮いた時間で何をしているのだろう。
(ニコニコに費やす時間は全く減らせてないし・・・)


人生の幸せとは、なんなんだろう。
本文中で、主人公モモの友人ジジが時間貯蓄銀行にのせられて、
社会的な大成功をつかむが悲しそうにつぶやくこんなセリフが印象的だった。

モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、
人生でいちばん危険なことは、
かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。
いずれにせよ、ぼくのような場合はそうなんだ。
ぼくにはもう夢がのこっていない。
きみたちみんなのところにかえっても、もう夢はとりかえせないだろうよ。
もうすっかりうんざりしちゃったんだ。

さりとて、今の時代にモモやその仲間のように
のんびりとした生活を、東京でしていって、普通の収入を得ていくというのも難しい。
今のところ時間貯蓄銀行とは、それなりに上手に付き合っていかなくてはいけないと思うというのが、
悲しいかな大人になってしまった自分の結論だ。


ただやはり再確認できたところは、
人生の目標を山の頂上に置くのではなく、山登りをしている過程を楽しむというところにおくこと。
頂上には登れなくてもよい。
ただ、当分は山を登ることはやめないでいようと思う。
それが現代版 時間貯蓄銀行のセールストークなのかもしれなくても。。