生物と無生物のあいだ(2)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

他にも面白かったのは、
われわれの身体がこれほど大きい理由
これはシュレーディンガーの話だそうだが、非常に腑に落ちたし、なるほど!と思わされた。
こういう喜びが、サイエンスにはある。

生命現象もすべては物理の法則に帰順するのであれば、
生命を構成する原始もまた絶え間のないランダムな熱運動(ここに挙げたブラウン運動や拡散)から
免れることはできない。
つまり細胞の内部は常に揺れ動いていることになる。
それにもかかわらず、生命は秩序を構成している。
その大前提として、"われわれの身体は原始にくらべてずっと大きくなければならない"というのである。

平均から離れてこのような例外的なふるまいをする粒子の頻度は、
平方根の法則(ルートnの法則)と呼ばれるものにしたがう。
つまり、百個の粒子があれば、そのうちおよそルート100、
すなわち十個程度の粒子は、平均から外れたふるまいをしていることが見出される。
これは純粋に統計学から導かれることである。

では、生命体が百万個の原始から構成されているとすればどうだろうか。
平均から外れる粒子数はルート100万、すなわち1000となる。
すると誤差率は、1000÷100万=0.1%となり、格段に下がる。
実際の生命現象では、百万どころかその何億倍もの原子と分子が参画している。
生命体が、原子ひとつに比べてずっと大きい物理学上の理由が
ここにあるとシュレーディンガーは指摘したのである。


美しい。
こういう仕組みを何十億年もかけてつくりあげてきた(結果的にできた、というのが正しいけど)
生命というものが、本当に摩訶不思議で、純粋な驚きを与えてくれる。
こういう考え方を見出してくれる科学者たちも、本当にすばらしい。


■インターネット社会に置き換えて考えてみると


ぼくはインターネット社会では、
個々人の思考がネットを通じてより相互作用しあって、
いずれなんらかの自己組織化を起こすのでは?とずっと思っているのだが、
この例を見てみると、まだまだ途方もなく参加しているネットの端末(人の脳?)が足りないのかもしれない。



たとえば日本語が通じる日本のインターネット社会が、
国民2/3だったとして、参加者が8000万くらいとしてみましょう。



これでいうと秩序を乱しうる因子はルート8000万なので、、、、、、
8944(ありがとう、Google電卓機能)。
日本人全員の頭脳をつなぐようなシステムをつくった場合には、
その誤差率は8944÷8000万≒0.01%。
これでも、自己組織化するような仕組みにとっては致命的な大きさなのだろう。



ネットイナゴ問題」なんて、おそらくネットイナゴの人数なんて
どんなに多くても1000人くらいだろうから
誤差率は 1000/8000万=1.25×10^-5≒0.001%
くらい?


0.001%でこんな問題になるのだから、
「秩序」ができるには、やっぱり母数が圧倒的に足りないということになるのだろうか?



でも逆を言えば、「日本国」なんて(「自己組織化」とはいえないかもしれないけど一応「秩序」はあるので)
1億2000万人で、成り立っているっていうのは驚き。
誤差率は 9×10^-5≒0.01% くらい?
これは、何もしないで放っておいたら速攻崩壊するのでは???という数字。


■ 「政治」による組織化と「文化」による組織化


でも実際は「日本」という国は、国家としてそれなりに機能している。
すくなくとも外部から「日本国」と認識されうるなにか
(国家機構というのか文化といっていいのか・・・)を形成している。


これは歴史的に見て、「政治」が存在したからかもしれない。
なんらかの「制度」が存在して、民衆を「統制」したとか、
日本語という「共通言語」で、皆が同じような思考をする「文化」が形成されたからかもしれない。


要は、そこに人の「意思」というものが介在してくることで
この自己組織化率というか秩序化率的なものが急激に向上するという風に考えられないか。


じゃあなんで生物の場合はダメで、国家の場合は上手くいくの?というと
それっていうのが、「ミーム(意伝子)」なんだろうな♪と
ずーっと思っているのです。
実際、生物の場合の「ジーン(遺伝子)」はそれに当ると思うし。
でも、物理世界のジーンよりも身軽な論理世界のミームが、秩序形成能(というか)が遥かに強い可能性は十分にあるし。
それがインターネットによって増幅されている、ともいえなくもないし。



統計学の「平方根の法則」について知識がないので、
論理だったことはいえないけれど、やっぱりインターネット化での人の思考が
秩序化して、組織化する可能性というのは、あるのではないか。
その鍵を握るひとつの因子として、ミームというものを考えてみるといいのではないか。



独り反論としては、
人が二人存在すればそこに「政治」は発生する。
⇒ たぶん二人の人間の秩序なんて簡単。(夫婦は難しい?)
⇒ 組織は小さくて団結したものから徐々に大きくなっていく
⇒ なので、国家は自然発生的なものではなくって、人為的に「政治」がつくったもの
ともいえよう。


是に対する反論はまだできないけど、なんとなく思うのは


「国家」は確かに「政治」が人為的につくったものだけど、
「文化」を同じにしてゆるくつながっている「日本人」という連帯感的な何か、
は、国家の枠を超えた自然発生的なものに近いのでは、ということ。


言葉の問題や、結局政治が絡んでいたりでいろいろノイズはあるので、
英語圏のほうが分かりやすいかもしれない。
というか、今ネット社会(英語圏)に、そういう国の枠を超えた文化共同体みたいな何か、
みな共通の遺伝子(意伝子ミーム)をもった人間たちのゆるいつながりができたりしていないのかな。


Googleのいう「世界連邦」がそれなのかもしれないけど。
言葉も人種も宗教も政治もバラバラだけど、みな同じミームをもっている「同種」の人たち。
SFチックだけど、これは近い将来、現実的に発生すると思う。


個人的には、もっともっとSFチックなことが起きて欲しいと思っている。

BRAIN VALLEY〈上〉 (新潮文庫)

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例えばこんな感じ。世界は平和であってほしいけど。




ずーっと思っていたけど、うまく言葉にできなかったことが
本書を読んで、まとめを書いていて、だいぶまとまった感があります。
なんら証拠付けはないけど、そんな個人的な研究をライフワークとしていきたいなぁと思います。


もうひとつ、「動的平衡」についてはまた次回まとめよう。