失われる情報

こないだ会社の朝礼スピーチで話したことの続き。
あの時にいい忘れたことの補足です。



TypeTraceを見て思ったのだけど、
情報ってある形にした瞬間にある側面の情報は失われる。


極端な例だけど、こんな印象を持った。

透明な五線譜を思い浮かべてみる。
音符はその五線譜の上に時系列で順番に並んでいる。
これで、音楽。


で、この五線譜をぐるっと90°手前に回転してみる。
横から見た感じ。
そうすると、時間という軸の情報が失われて、
ただ登場する音の羅列だけが残る。
こんなイメージ。



たとえば文章って、こういうものなんじゃないかな、思った。
多分書いている人の頭の中ではもっといくつもの軸があって、
でもそれが文章になった時点で失われてしまう。
ある軸の情報だけが、文字の羅列として残る。


ブログ書いててずっと書き足りない感がしているのも、
こうやって「失われている何か」を感じてたのかもしれない。
文章力がないということでもあるけど。。。


でも、じゃあ頭の中に思い浮かんだすべての情報を伝えればいいのか
というと、それも違うわけで。
文章にはあえて無駄な情報をそぎ落としている良さがあるわけで、
それが文章力とも言えるわけで。



ただ、失いたくなくても失われている情報というのは
意外とたくさんあるんじゃないかなと思った。
それに気づいてない、というだけで。


これは文章に限った話じゃなくって、
なんらかの情報を媒介するメディアって、全部そういうモノだ。
形になった時点で、何らかの情報が、いつのまにか失われている。


情報が失われている気づいてないのは、それを残す手段がなかったから。
本だったり絵だったり動画だったり、
情報を残す手段っていろいろあるけど、これってあくまで道具であって、
技術の進歩によって、これまでできなかったことをできるようにしてくれる
道具が出来てきてるんじゃないかなと。


んで、ITというのは、やはりそのためのものなんじゃないかなと。
そこにはまだ期待できるんじゃないかなと、思うのです。


別にこの失われた情報にどんな価値があるかなんてよくわからないけど
(そこに価値を見いだすことができれば、ビジネスになると思っているけど)、
もっと単純に、
これまで失われてきた情報にアクセスできるようになったら、
これまでになかった何かが生まれてくると思うし、
これまでとは違った生活習慣も生まれてくると思う。


例えば写真が出来たおかげで、過去の風景をみることができるし
蓄音機ができたおかげで過去につくられた音を聞くことが出来る。
こういうのって、時間軸も空間軸もすっとばしてくれる発明だなと。


そういう感じで、たとえば人の心とかって
もう少し見えるようになったりしないかなと。
そういう風にやってって、
人の生活にインパクトのあるような変化が起きたら面白いなと。
そんなことを思うのです。


※ちなみに、この「軸を回転させる」というのを思いついたのは、
たぶん LUNARR のHPを見たのが頭にあったからだと思う。
コンセプトだけ見たら Google Docs と同じなのでは・・・?と思ってたけど、
この回転させるという UI は、かなりインパクトあったし、
これに深い意味があるんじゃないかなーと、勝手に思うようになった。