坂の上の雲

読了。
苦みをおびた清々しさと、たくさんの学びがつまった全八巻だった。

坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)

坂の上の雲

本書の一番直接的な魅力はそのタイトルだ。
個人的には、この「坂の上の雲」というタイトルは、数多の本の中でも一番好きなタイトルだ。簡潔で、情景を巧みに想起させる、まさに正岡子規がつけたかのようなフレーズだと思う。「坂の上の雲」について、あとがきではこんな意図が明かされている。

このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家達の物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほど楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

ここでの「幸福な楽天家」という意味は、本書を読んでみれば、それが現代におけるそのことばどおりの状態を指しているのではないということはわかってくる。その辺は割愛するが、明治期の日本人たちが、ただ前をのみ見つめながらあるくというのはそのことばのとおりだ。


現代の自分たちにこの状況をおきかえて考えてみると、日露戦争開戦前夜と現在とで共通するところがなくもない。現時点からふりかえれば当時は前途洋々たる時代の幕開けだったとみることができなくもないが、当時の伊藤博文山本権兵衛といった現実主義者からすれば、できあがったばかりの国家が征服されようとする風前の灯火でいるような気分だったはずだ。


一方、現代にはそんな悲壮感、危機感はない。みな前を見てあるきつづけてはいるが、坂の上を見上げても晴天ではなく曇天であって雲しかみえないという印象である点で異なっているように思う。だが「楽天家として坂の上のみを見つめながらあるく」という姿勢には学ぶことが多いように思う。

海外に学び、独創で勝つ

当時の日本人がロシアとの戦争に勝てたのはなぜか。
本書を読んで知ったが、陸軍はほとんど全滅寸前だった。ロシア帝国の末期と時期が重なって、ロシアが自滅したという側面がかなりつよいようだ。


要因をあげると

  • 海軍の完勝
    • 山本権兵衛が一人で近代海軍をつくりあげたことに一番の功がある。
    • 火薬や兵器、戦艦などの事前準備がしっかり整っていた。
    • 本書の主人公である秋山真之の入念な作戦(これも事前準備の一つ。すべてが発動するに及ばなかった。)
    • 連合艦隊総司令官 東郷平八郎という人間がいたこと。彼がその能力に加えて、おおいに「運がいい」男だったということも大きかった。
    • 下瀬火薬という秘密兵器をもっていたこと。
  • ロシアの瓦解
    • 赤石元次郎の革命家への支援活動。全く知らなかったが、たった一人で、とんでもない大仕事をやり遂げた日本人がいた。
    • 官僚主義によるロシア帝国の寿命。ロシアの作戦かの権威であるクロパトキンが、今から見れば信じられないような命令をだしつづけたことは、官僚主義的な気分で説明がつく。目の前の的を殲滅することよりも、自分の地位を守ろうと言う心理がはたらいていた。
  • 日本国民の士気
    • 当時のアメリカ大統領ルーズベルトは、「専制国家であるという理由だけで、ロシアは負けるだろう」と予測し、その通りになった。--「国民国家」という、最強の兵士をつくりあげる概念を日本が取入れたばかりで、国民が皆その熱に浮かされていたことも大きく貢献した。陸軍は相当な苦戦を強いられ、作戦的な失敗も多くあったが、日本人たちは驚異的な勇敢さを発揮し、その多くは砲塁の前になす術もなく屍の山を築き続けた。

など。


物量、兵站、兵員、何をとっても勝てる見込みがない日本が勝ったのは、秋山好古、真之兄弟を筆頭にした西洋に学んだ優秀な人材が、窮地に追い込まれ、ないリソースを目一杯活用して途方もない作戦を立案、実行し続けたからに他ならない。


この当時ほどの危機感はなかなかもてないが、最先端の知識を西洋に学び、解釈して自分たちなりの知恵をうみだすというのはやはり日本人のお家芸なのかもしれない。この姿勢は現代においても適用できることであり、大いに見習うところだ。「猿真似」「独創性がない」とかいった言葉に踊らされず、学ぶべきところは学ぶべきだと思う。それをローカライゼーションして使えるかどうかが、その人の能力ということになるのだし。




それにしても、本当に本書には学び、気づかされることが多かった。
東郷平八郎大山巌といった「ウドサー」とよばれる鹿児島人たちの神がかったリーダシップであったり、陸軍大臣として現場からは引退していた児玉源太郎の八面六臂の大活躍であったり、なにより司馬サンが何度も書きつづけていた、日露戦争の勝利を正しく理解しなかったことが太平洋戦争の無謀な作戦につながっていったことなど、リーダーシップ、組織論、色々な要素がこの物語にはちりばめられている。その辺もまた追々書いておこうと思う。