技術と感性


少し前だが、日経新聞にとても目を引く記事が載っていた。

47秒完結の曲 配信
247みゅーじっく 携帯向けに

独立系レコード会社の247みゅーじっく(東京・目黒、丸山茂雄社長)は、
一曲の長さを四十七秒に限定した楽曲を製作し、
十四日から携帯電話向けに有料配信する。
従来の「着うた」のように楽曲の一部分だけを送信するのではなく、
四十七秒間に曲全体が収まるようにする。
シングルを含むCDの販売が低迷する中で、新たな音楽形式として普及を目指す。


これが成功するかどうかは分からないが、
「技術が人の感性を変えていく」ということの、とても明確な具体的事例だと思う。


「ケータイ」という技術がある閾値まで成長したから、
コンテンツ(この場合 音楽)の方が、それに合わせてきた、ということだ。
世の中のポップミュージックは 3-4分くらいなので、1/4くらいで一曲が終わる。
これが定着するようになると、
僕らの体感時間はこれまでよりももっと短くなるのかもしれない。


そもそも「音楽」って、昔はもっと一曲が長かった。
交響曲は(千差万別だろうが)1つの楽章だけで15分くらい平気である(民謡は一般的に短いけど)。
「音楽を聴く」という時間に対する感性が、人類的に早くなっているように思うのだ。
3,4分くらいの曲が定番になったのはいつくらいなのだろうか。
きっと「技術」が関与していると思う。


CD一枚に入る分数が75分だったかなんだかは、
ベートーベンの第9が収納できる時間だったということを聞いたことがあるが、
これは感性に技術を合わせたという具体例。
今回の47秒間というのは、ケータイ生活に慣れた人は5分間も音楽を聴かない(というのは体感的に理解できる)
ということにあわせた時間だと思う。
つまり、「ケータイ」という技術が人の感性を変えてきたということ。



人間の感性は日頃使っているツール(技術)に大きく影響を受けると思う。
こんな記事もあることだし、
人間の感性という面でも、後から振り返れば今は大変革の時期なのだろう。
面白い時代に生まれたものだ。