シリコンバレーから将棋を観る

将棋本でありながら、何年も前から一貫して発せられている「個として生きること」についての梅田さんのメッセージを強く感じた一冊でした。

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

将棋観戦入門書としての意義

 まず本書が将棋本としてよかったなと思うところは、梅田さん(と渡辺竜王)の意図されているところである「指さない将棋ファン」という観点を少しもてたところ。「先手7六歩、後手8四歩」みたいな記述は、横に書かれている将棋盤の図をいちいち観ながら、ああ、こういうことね、とゆっくり目で追う感じでみることをした。これをやってみるか否かというのは、観戦者になるための結構大事な第一歩だと思う。そういう意味で、初めて棋譜を目で追うということを実際にする体験を持った読者は多いはず。これだけで将棋界にとっては大きな貢献だと思います。


 将棋のルールは知っていて、遊びでは何度もやったことがあるのだけど、こういう棋譜表記になってしまうとついていけなくなってしまう。
でも、それは将棋を楽しむために身につけるべき第一歩。棋譜表を読んで頭の中で将棋の流れが浮かぶようになれば、きっとあたらしい知的興奮を得られるようになる。これはプログラミングと同じだと思うので、体感的に予測がつく。
(そこまで大変な道程ではないと思うけど)一度そこに辿りついてしまえばそこから先はスイスイのめり込んでいくのだろうけれど、そこまでの最低限の基礎というのが、地味で煩雑なので、多くの人がそこに行かないのだと思う。プログラミング然り、音楽(楽譜)然り、麻雀然り。知的娯楽というものは、スポーツと比べると、見る人にとっても少しだけ壁が高い。そこを登るまず第一歩にはなったと思う。


 また羽生名人、渡辺竜王、佐藤棋聖、深浦王位といった、棋士たちのそれぞれの物語は、将棋自体がわからない初心者にとっては興味を持つ入り口として十分な魅力ある話だった。

先の見えない、「高く険しい道」を歩む人達の横顔

 とはいえ、本書を読んでいて僕が一番印象を受け続けたのは、棋士の人達の強い生き様。


 将棋は、不確定な知的競技だ。不確定というのは、羽生さんのようなすごい能力を持った人が、その人生のほとんどをかけて研究してもその深さが見えないというような印象をもつように、次の一手がほぼ無限に広がっている世界であるということと、相手があってのものなので、自分一人ではすべてを成し遂げうるものではないという、言わば「他力」という側面をもつというところ。その不確定さに対して、棋士達は不断の努力を重ねて勝負を掴み取ろうとする。その姿はとてもストイックであり、凄みのあるものだなと感じた。
 

 これは人生を切開いていく行為にとても似ているように感じた。明日はどうなるかわからないし、自分が今やっていることが正しいのかも、確証はもてない。でも何か自分の信じる方向に進むために、日々研鑽を続けていくことがとても大事だ。そんな基本的なことを、トップレベルの、勝負の世界で何十年も日夜続けている棋士達の横顔を活き活きと描写することで、本書は伝えようとしているのではないかと感じていた。少なくとも、僕は途中からずっと身が引き締まる気分で本書を読んだ。対局中にその場に居合わせた梅田さんが嘔吐を催すほどの緊迫感というものは想像もつかない世界ではあるが、研鑽を積んだ人達が集う世界というものを、少しだけ垣間みる疑似体験ができたように思う。本書を通して見出された

「超一流」=「才能」×「対象への深い愛情ゆえの没頭」×「際立った個性」

という方程式の、その意味(実現の難しさ)が身体感覚的に感じられるようになったということだけでも、これでも前よりは成長したのだと思う。

自分は何としてプロでありたいのか

 棋士の方々の生い立ちなどを読んでいると、本当に小さい頃から将棋に人生をかけてきていることを感じる。というより、本当は軽くビビっている自分を感じて少し悲しくなっていたが、

自分の志向性にぴったりあった対象を少年時代に発見し、それを職業にでき、「好きなことをして飯が食える」ようになった彼らの人生に、私たちは羨みの気持ちを抱きつつも、その苛烈さに怖気づき、自分たちが行きている曖昧な世界の居心地の良さを改めて感じたりする。

と、道を歩き続けることから逃げ出したくなる気持ちに、梅田さんは適度に助け舟を出してくれているように思った。これは「ウェブ時代をゆく」の時とまったく同じ感覚だったのだけど、きっとそういう意図ももって書かれたのではないかと思う。


 「けものみち」であれ「高く険しい道」であれ、働いて、稼いでいくうえでは、自分自身に他者から評価されるだけの何らかの価値をつけなければならない。それは安穏と会社生活を送っていて得られるものではなく、「自分」という商品をどう売っていきたいかという戦略をたて、環境をみて、未来のために自分自身に投資していくことで得られるものだ。その第一の投資対象は時間だ。何を身につけるか、何を身につけるために時間を使うか。いざ、そういう状況になってみて、それがなかなか難しい。
 とりあえず今後数年はこうしてみよう、と決めて勉強を始めても、その投資が本当に正しい選択なのか、もっと考えてからやり始めるべきなのではないか、なんていう邪念が浮かんできてしまう。まったく次元の低い話で恐縮だが、本書を読んでいて棋士達が対局中に考えるであろう「この手でいいのか?」という逡巡を想像して、我が身のことを考えてしまった。
 でも棋士達の場合は、それを乗り越えるために日頃の研究があり、積み重ねてきた努力があるのだろう。


 だから「不確定な未来」に対して最善の一手を打つ方策も、日頃の研究や覚悟の積み重ねをしていくことなんだと思う。それが本書を読んで、(この文章を書いている中で)自分なりに出した結論。そういう当たり前なことを当たり前にやって大丈夫、というかそれが正しいという風に棋士達の証明してくれているように感じた。


 以前「ウェブ時代をゆく」出版の記念講演会の際に、「けものみちでもやっていけるようになるには、どう自分を売っていけばいいのか?」というようなことを質問して、「人から誘ってもらえるようになりなさい」ということを答えていただいたことがある。未だにどうすればそういう人になれるのかということは実感として分かっていないが、ありがたいことに仕事に関して、お誘いをいただくことができた。あまり予期していなかったことだったので、ご縁とは不思議なものだなと思うと同時に、あの時質問した時のことを思いだす。
 自分ではまだそれがどういうことなのか分かっていないけれど、それが自分で分かるようにまずは頑張りたいと思っている。

自分が好きなものとどうかかわっていくか

もう一つ、本書で証明されていると感じたのは、梅田さんが将棋と関わっていくさま。


 「サッカーが大好きな人はJリーガーにならなくても、サッカーと関わる仕事/道はいくらでもある」ということ(正確な文章ではないけど、そういう概念)が、「ウェブ時代をゆく」を読んだ時に感じた大きな衝撃だった。これは自分にとってパラダイムシフトだったし、将来を考える上で大きな希望になった。
 将棋観戦期を通して、梅田さんは本当にいい形で大好きな将棋に関わっていて、とても楽しそうだなということがヒシヒシと伝わってきた。梅田さんは「人体実験」と称して自らを人生を通して色々なことを教えて下さっているが、本書はまさにその理想的な好例になっている。
 自分が本当に好きな対象に、自分の得意分野を認められて関わっていく。「けものみち」を歩く道の先に、こういう人生を送れると楽しそうだなと思える素敵なロールモデルだった。